信仰が成長するとは…【Ⅱテサロニケ1:3】

2023年

兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。

Ⅱテサロニケ1:3

知り合いのクリスチャンの人に、

「どうしたら自分の信仰が成長したって分かる?」と聞かれました。

うーん…どうですか?

「ちょっと考えてから返信する」としました。

自分が信仰が成長したな~と感じる時ってどの様な時でしょうか。

まず思い浮かべる事は、困難が降りかかって来ても、あまり信仰が揺れなくなった。と感じる時に、信仰が成長したかも…と私は思います。

信仰を持って直ぐの頃は、困難が来るたびに、

「主は本当はいないのではないか?」

「今まで主を感じたと思っていたのは、単なる偶然ではないか」

と言う思いと、

「どうして助けてくれないんだろう」

「こんなにも辛く苦しいのに、どうして私をこのままにされるのだろう」

「この苦難に何の意味があるんだろう」

「主が居られるなら、どうしてこのような事が起こるのだろう」

不平不満を通り越し、この様な怒りを感じていました。

何度もこのような経験を繰り返しながら、苦難は単なる苦難でないという事に気付き、

主が私の人生に意味と計画を持っておられるという事が感じるようになってきました。

そして、困難がやって来ても、信仰の揺れが少なくなり、

困難への対処が少しずつ分かって来たのです。

これは信仰の成長だと思います。

それと、もう1つ、

自分と違う考えの人、タイプの人などを受け入れ愛せるようになってきたように思います。

もちろん、まだまだ発展途上ですが…

主を知らない時は、

クセのある人とは、無視するのではなく距離を取り、当たり障りのない関係性を保つ事が「知恵がある」選択だと思っていました。

多分、世の中的には、そのような選択が賢明な選択であり、良い選択、大人的な選択はないでしょうか。

しかし聖書には「敵を愛しなさい」とあります💦

100歩譲って、自分に良くない事をする敵を憎むことを辞め、あまり自分の視野にいれない関係性を持てたとしても、この世的には、心が広い対応が出来る人だと評価すると思います。

しかし主は、自分の敵だと思う人を、憎むことを辞めるだけでなく、当たり障りのない関係性を保つ事を望まず、「愛しなさい」と言われているのです。

敵に対してフラットな関係性を維持する事だけでも、大変なのに…その上を望まれているのです。

主の特性として「愛する」という事を重んじられていると思います。

この「人を愛する」という主の特性に似ていく事が、信仰が成長していっていると言えるのではないかと思います。

よく考えたら、「信仰が成長する」と言う言葉、不思議ですよね。

私たちの神さまは、私たちと関わりを持って下さるから、こういった言葉が成り立つんだと思います。

「最近、信仰はどう?」「神さまと良い関係を保ててる?」と言う言葉も同じです。

他の神々とされるものも、このような表現を使うのでしょうか。

使わない気がします。

信仰が一方的だと、関係性や成長はないと思います。

私たちが信じる主は、私たちと関係を持って下さる生きておられる神さまだからではないでしょうか。

主ともっともっと関係性を持ち、主を知っていく。

主と時間を共にせず、主を知っていく事はできません。

主を知らずして、主の似姿に近づく事もできません。

主の似姿に近づくことが、信仰を成長させる事に繋がると思います。

今日も、主と共に歩み、主を知っていく一日となりますように…

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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