しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
Ⅱペテロ3:8-9
主の助け、主の答えが、遅い・・と感じる事ありますよね。
なかなか答えてもらえない。
いつまで苦しみが続くのだろう。
「どうしよう。どれを選べばいいのだろう?」と焦ったり、不安になったり。
主よ・・早く答えて下さい!!
という思いが募って来ると、段々と不信感が出てきます。
主は本当におられるのか。
主は本当に今も生きておられるのか。
という思いが生じると、もっと疑心を抱くようになります。
主は確かに居られると感じた事があるけれど、あれは何だったんだろう?
今まで主を感じたのは・・偶然・・?
自分が勝手に「主が助けて下さった」と思い込んでただけ?
・・と心が動くのです。
自分が思ったように主が働かれないと、不信仰になってしまうのです・・💦
主は、凄く早く答えて下さる時もあり、すっごく時間をかけられることもあります。
もう何年も祈っているのに・・という事も実に多いのです。
どうしてでしょうか。
ひとつだけ分かっている事があります。
私たちは時間に支配されており、主は時間に支配されていないと言う事です。
私たちは毎日忙しく、友達と会う約束さえスケジュールを確認してから約束をします。
日々、決められた時間の中で動いているのです。
寝る時間も必要だし、起きる時間も決まっているし、いついつまでに、しなければならない事が多いのです。
私たちは、タイムリミットを意識しながら生きているのです。
しかし主は、神様は「時間」というものに縛られていない。
時間軸が違うのです。
永遠の尺度から物事を決められているのです。
アブラハムは、子どもが与えられるという約束を受けたのは75歳の時でした(創12:1-4)
しかし実際に与えられたのはアブラハムが100歳。サラが90歳(創17:15-21、創21:1-7)
実に約束から、25年・・💦
イエスさまの愛する友、マリアとマルタの弟のラザロが今にも死にそうだと聞いても、
イエスさまがラザロのもとに行かれたのは、ラザロの死後4日経っていました(ヨハネ11:17)
イスラエルの王になると言われたダビデも、サウル王に追われ何年も荒野を逃げ回りました。
ヨセフも子どもの頃、不思議な夢が与えられました。
しかし兄たちに奴隷として売られ、
夢とは程遠い環境に22年も過ごしたのです。
時間に捕らわれ支配を受けていない主は、永遠というものさしの中で、私たちに答えられています。
そう考えたら、自分が生きている間に答えを貰えるというのは、凄く早い答え・・だと言えるかもしれません。
一番ベストな時に、手を差し伸べられるのですから。
私たちが時間に縛られず、自分にタイムリミットを課してなかったら、「焦りや不安」は無いように思います。
主から答えを貰えず、焦り不安になった時・・
「主のベストの時」ではないという事。
今は、自分のタイミングであって、主のタイミングではないと言う事。
大丈夫!!
主が一番良い時に、必ず答えを下さり、手を差し伸べて下さいます!
主のなさることはとっても神秘的で、時にかなって美しいのです。
なんでも素早く済ませたい私たちとは違うのです。
主に委ねる日となりますように・・
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」