主に全てを委ねるという誤解【ガラテヤ5:13】

2023年

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。

ガラテヤ5:13

先月、甥っ子が結婚しました。

あんなに小さかった子が、もう結婚する年になったのか~と思うと同時に、思い出した事があります。

私が韓国に留学する直前、母教会の牧師先生が私に「神さまの導きだけで結婚しないでね」と言われました。

その時「え・・」と言ったら、先生が「示しを受けたからっていう理由だけで決めないでね」と言われました。

「どういう意味だろう・・」と思いながらも、聞き直すタイミングを持てずにいました。

留学の準備でバタバタしながら、とりあえず先生の言葉、ずっと記憶しようと思っていました。

20代後半で韓国に留学し、語学学校と神学校へ行きました。

結婚は日本に帰ってから(日本人と)・・とずっと決めていました。

そしてある日、夢を見たのです。

殆ど話しをしたことがない夫が夢に出て来たのです。夢の中で私は夫の靴を磨いていました。

そしてイエスさまに「この人を私に下さい」と言っているのです💦

目覚めて・・「なにこれ・・💦」と思いました。主が導いてくれているという喜びより、

「え・・なんか大変な事が起こりそう💦マジか・・」と言った感じでした。

とりあえず、夢に出て来たこの人がどんなビジョンを持ち、どの様な人なんだろう・・と気になり探しました。

夫とは、同じ大学で同じ学科。同じ寮で同じ寮の食堂を利用していました。名前は知らず夢に出て来た顔だけが頼りです。2週間探したのですが、見つける事が出来ませんでした。

同じ空間に居てるはずなのに、おかしいな・・と思いつつ。

一度手放そうと思いました。

「主よ。自分で探すのを辞めます。この夢が本当に主が導いておられるのであれば、、、主が会わせて下さい。偶然会うのではなく、私が分かるように会して下さい」と祈りました。

そう祈ってから2週間、その時が来ました。

大学はソウルの郊外にあり、奉仕していた教会はソウルです。平日は大学の寮で暮らし週末は1時間半かけて教会で過ごしていました。

主日は朝から夜まで奉仕でバタバタとしています。奉仕の移動中に事務室を通った時に事務員さんに声を掛けられました。

「知り合いの方が来られてるそうです。先方は約束した訳ではないと言われたので、主日なので伝言できるかどうか分からないと伝えました。30-40分前に連絡受けたのですが・・」と言われました。

教会は5部礼拝まであり、一度の礼拝に何万人と出たり入ったりします。

待ってると言われたエントランスガーデンには多くの人で溢れかえっていたのですが。

私の名前を呼ぶ人がいます。目を向けると、大学の先輩Aさん。凄くおしゃべりな方です。誰にでもガンガン話しかける男性です。

「あ~〇〇さん!スッゴク待ったよね~」と言いながら近寄ると、その後ろに夫がいました。

「うわ・・マジか~~ここで会うのか~」と思いつつ、少し話をしました。

信号機の数ほど教会がある韓国。その中で何となく前々から一度はこの教会に行ってみたかったAさん。

遠いので行きたくないと言ったのに無理やり連れて来られた夫。

週報にある私の名前を見て「会ってから帰ろう」と言ったAさん。学校でも見かけるから帰ろうとしきりに言っていた夫。

後5分待って来なかったら帰ろうと話していた。

と言う話を聞きながら「もうやめて・・」と心の中で思うと同時に、母教会の牧師先生の言葉「導きだけで結婚しないでね」と言うのを思い出しました。

「そーだ!導きだけで結婚を考えたらダメ!私が好きにならないと結婚はしません!」と心で呟きながら終始言葉数の少ない夫を見ていました。

当時、韓国での生活に凄くストレスを受けていました。どこに行っても誰に出会っても歴史的な事で責められていたからです。

必要以上に韓国と縁を結びたくなかったのです💦

まず、自分が好きになる。お義母さんが日本の嫁を受け入れてくれるのか。私の両親も受け入れてくるのか。私の所属教会との関係。

自分が心配する全ての問題に対して、「主よ。参りました!」と思うような出来事を何度も見せてくれました。

そして一番重要視したい「自分が好きになる」という点も、主が私の心を変えられたのです。

結婚して、20年以上経つ夫と私は、仲が良い方だと思います。

友達や妹に「自分の旦那にイライラしないの?」と聞かれます。

その度に思うのは「御心だけで結婚しなくて良かった・・」です。

甥っ子の結婚を機に、自分の結婚を思い出しました。

もし、不思議な導きを何度か経験し「この方は主が与えて下さった伴侶だ!」と思い、それだけで結婚していたら・・・

多分私は、今横にいる夫に対して失望しイライラしていたんだろうなと思いました。

「主が与えて下さった人なのに・・どうしてこんな事も出来ないんだろう」

自分の事を棚に上げ、「主が与えた人なのに・・!」と主を責め続けていたように思います。

同じ夫であっても、導きだけで結婚を決めていたら、夫には失望しか感じなかったように思います。

全ての責任を主に投げ、「主が与えたのに!」と・・

結婚だけではないと思います。

自分にとって大切な選択。人生の分岐点。

「御心に従います」という謙遜な姿勢に見せかけて・・責任を主に持たせる選択は良くないのです。

御心に従う・・と言うのはどことなく自分は犠牲を払っているという思いを持ってしまっています。

自分の思いは横に置き、主の御心に従ったのだから、だから主が全てを上手くしてくれる・・と、どこか思っているのです。

犠牲を払ってまで従ったのだから・・・という思い。

聖書を見ると、時には強引だと感じる主の介入や導きもあります。

しかし、多くの場合は、それに従うかどうかも、私たちには自由があるのです。

責任を主に持たせ従うのではなく・・自分の心が「御心に沿った選択をしたい!」と、自らが望む選択をしていきたいです。

今日も、主と共に歩み、自分で選択する一日となりますように!

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