神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
詩篇139:27
昨日のブログで「内的治癒」について少し触れました。
その中で思い出した話を書きたいと思います。
私にも心の傷がありました。ある時、その傷が凄く痛んだのです。昨日、ブログに書いた弟くんが「解放される日」を決めていたように、私は「仕返しをする日」を決めていたのです。(←今考えたら私って怖いですね💦)
傷付いた私は、あまりにも幼く、言い返し跳ね返す力がありませんでした。だから、自分が成長し、こういう状況になったら、私を傷つけた人の過去をみんなにバラしてやろう!と心に誓い、
耐えたのです。15年以上。
傷は、自分の弱さになり、自分を良くない思いに引っ張るのです。生きる事に否定的になり無力になり、長年、肉体的にも精神的にも大きな大きな影響を及ぼしました。生きる力を奪うのです。
そして、私が決めた日がやって来たのです。
今まで蓋をしてきて何とか耐えてきた傷がうめくのです。私にとって待ちに待った日ですから。
しかし、私は傷を受けてから、その日が来るまでにクリスチャンとなっていました。
溢れ出る傷の痛みと、クリスチャンという葛藤が、一層苦しくなったのです。
自分を制する事が出来ず、実家に居ることも出来ず、呼吸が出来なくなったのです。
その様な状態の中、何度か賛美礼拝に参加したことがあった、Youth With A Missionという宣教団体の「弟子訓練コース」に導かれたのです。
半年間、寝食を共にしさまざまな訓練を受けるのです。
私は祈って自分の意志で参加した!というよりは、主の導きにより身を避けるように、流れ着いた感じで参加しました。
そして、昨日のブログのように初めの自己紹介に「一番嬉しかったこと」「一番悲しかったこと」を含めて一人ずつ話したのです。
私も、今まで誰にも話したことがない自分の傷について号泣しながら話しました。
自己紹介から授業はスタートし、3カ月は色々な国内外から牧師先生が来られ、講義をしてくれました。その後の3カ月はアウトリーチ(宣教旅行)です。日本国内→韓国→ベトナム→カンボジア→韓国 と回りました。
この弟子訓練に参加した10名、全ての人が、何らかの傷を持っています。
この6か月、色々な訓練を受けます。
まずは、一人一人が自分の傷と向き合うのです。主に傷を照らしてもらい、講義や、賛美、祈り、礼拝、共にする生活などを通して、ゆっくり癒しを貰うのです。
怪我をした時と同じで、傷にはまず消毒液が必須です。痛む傷の上に、もっと染みる消毒液をまず掛けないとダメなのです。
この訓練でも皆がこの「消毒液的な時間」を過ごすのです。自分の傷と向き合う時間。この時間を通らないと癒されないのです。
6カ月の訓練が過ぎ去って分かったのですが。
この消毒液的な時間、心がかき乱されます。共同生活を通して、自分の傷をフラッシュバックするような出来事が何度も起こるのです。
今思えば、自分の心の傷と全く関係性がない人より、同じような傷を体験した人同士、自然と仲良くなります。互いに惹かれ合うような感じがします。
そして誰かの行動を通して、自分の傷がフラッシュバックしてしまった人は、凄く攻撃的になります。
他の人から見たら、おかしい位反応し、怒るのです。怒りが収まるのに凄く時間もかかります。
今、当時を振り返ってみて、傷は癒されるべきです。蓋をしてはいけないのです。
心の傷は、「誰もが多かれ少なかれ持つもの」「自分だけじゃない」「こんな事をイチイチ気にしていたら生きて行けない」と見て見ぬフリをし、平気なフリをしてしまったりします。
心の傷は時間が癒してくれません。
私たちの心の傷は、私たちを創造した創造主しか癒せないのです。
自分の中に、過敏に反応し、心が乱される事はないですか?
例えば、少し否定的な事を言われたら、過剰に腹が立つとか。イライラするとか。
泣いている子どもには我慢が出来ないとか。
失敗する自分を受け入れられないとか。
自分の心が動く時、変化がある時は、どうして今自分の心が動いたのか、考えてみるのが良いと思います。
例えば、嬉しい!と思ったのなら、どうして嬉しいと思ったのか。嬉しいと感じるのは正しい感情なんだろうか。(人が失敗をしている姿を見て、心の中で喜びを感じる場合もあります)
悲しいと感じたら、どうして悲しいと感じたのか。その感情の根っこに何があるのか考えるのです。
悔しい気持ち、情けない思い、怒り、許せない感情、やたらと正義心が働くとか、自分自身を受け入れられないとか・・
自分の感情が動いた時は、その感情は本当に正しいのか。自分の動いた感情の根っこに、何か違うものが無いか、チェックするチャンスです。
動かされた感情の根っこには、本当の自分の心のうちにあるものを知る事が出来ます。
想像以上に、自分の根っこに違うものがあったりします。
根っこに違うものがある場合、それは過去の傷であったり、苦い経験であったり、思い出したくもない出来事であったりします。
自分の感情が動いた時、本当の自分の姿を知れるチャンスです。
それを知るのは、辛くしんどい事かもしれません。
しかし、自分の本当の姿を知って、解放されて下さい。本当の自分の姿を知れば、主に癒しを祈る事ができます。
本当の自分の姿を認識しなければ、癒しを主に求める事さえ出来ません・・・
是非、本当の自分の姿を知って、主に癒しを頂き、もっと自由にもっと身軽に、もっと主に満たされた人生を歩む事ができます!!
主も、私たちが癒しを受け、もっと自由に生きていく事を望まれています!
是非、自分の感情が動いた時、チェックする習慣を付けて見て下さい!
癒しを得れば得るほど、信仰生活に良い影響が起きます!
今日も、主の中で平安に包まれた一日となりますように!