あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
伝道者の書7:16
私は、子どもが小学生位の時に「自分が絶対に正しいとは思わないで」と言っていました。
もちろん、どうしてそう思ったら良くないのかも説明しました。
でも心の中で「これってスッゴク難しい・・」と思い、自分でも小学生の子どもに対して、この声掛けが良いのか迷っていました。
人間は基本的に良心に従って生きています。自分で考え、これはダメだなと思う事はしないようにするのです。そして良心に従って正しい、良いと思うとを判断し選んでいくのです。
特に小さい子どもにとっては、良心は判断基準であり、学校でも「考えて見て。こんなことしたらダメだよね?」と習います。「あなたの良心に尋ねて見て」という意味です。
私はヨセフが好きです。聖書の中の人物で一番好きです。
ヨセフは、父ヤコブに凄く愛されていました。12人兄弟の11番目。
しかし、ヨセフは兄たちに妬まれていました。
ある日、兄たちはヨセフを穴に落として殺そうと考えました。しかし、長男ルベンは殺す事に反対しました。そして通りかかったエジプト人に奴隷として弟ヨセフを売ったのです。
エジプトで下僕となりましたが、主の計らいがあり、主人に気に入られ全財産を任されるまでになりました。しかし主人の妻のウソにより監獄へ入れられます。
しかし監獄でも監獄の長に信頼を得て、全ての囚人をヨセフの手にゆだねました。そして、監獄された、エジプト王ファラオの食事係の長と、料理係の長の夢を解き明かしました。
この2人は監獄から出れたにも拘らず、ヨセフの事を忘れてしまいます。
ヨセフが兄たちに売られ、監獄を出れるまで、13年かかっています。この13年は穏やかな年月ではありませんでした。
主人に気に入られ、ある程度幸せな人生を送れるかと思いきや、陥れられたり・・・
上がったり下がったりの13年でした。
その後、豊作が7年続き、飢餓が始まって2年して、兄たちに再会したのです。
実に22年もの間、苦労してきたのです。
これって、誰が悪いのでしょうか? 兄たちだと思いませんか?
兄たちが自分より幼いヨセフを奴隷として売り、父ヤコブにはヨセフは獣に殺された風に話したのです。
時が流れ、兄たちがエジプトに食料を求め行った時、目の前にいる人がヨセフだと気付きませんでした。そしてヨセフの一つ一つの言葉に、自分たちのが過去、弟ヨセフ対して犯してしまった罪が思い出され、悔いるのです。
兄たちは大きな罪を犯したと思います。現代の裁判にかけたら、100%兄たちに悪いのです。
しかし、ヨセフには全く汚点はなかったのでしょうか?
「ヨセフと穏やかに話すことができなかった。(37:4)」と書いてあります。兄たちはかなり、ヨセフを憎んでいたのです。
ヨセフは、あまり空気を読める人ではなかったと思います。ヨセフが17歳の時、兄たちの悪いうわさを、わざわざ父ヨセフに告げ口しています。(37:2)
また、兄たちや両親の前で、「兄たちと両親が自分にお辞儀をした夢」の話を、二度もしました。
もしも、兄たちに少しでも憎まれていると感じていたとしたら、そのような話は出来ないと思います。兄たちが穏やかに自分と話せていないという事を、全く感じていなかったように思います。
憎まれていると感じていたら、父が自分にだけ与えてくれた立派な長服を着て、兄たちに会いに行ったでしょうか。
父に愛され、自分には特別感があったのかもしれない・・・ヨセフの無邪気な性格が一層、兄たちを良くない思いを起こさせたようにも思います。
もちろん、ヨセフのこの無邪気な性格と、兄たちが奴隷に売ったという行為が、同じ重さではないかもしれません。人間的に見たら、兄たちの方が罪は大きいです。
しかし・・・主はどう見られているか・・・私たちには分からないのです。
分かっている事は、主の目は、私たちの目と違うという事だけです。
私の目に、「絶対に〇〇さんが悪い!」と感じる事があったとしても、主も同じように見ているかは分からないのです。
「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(Ⅰコリント4:5)」
自分の目に、自分が正しいと思っても、裁きを下すのは主なのです。
裁きは、主の領域なのです。
これって難しいですよね~💦
反対に、自分は悪気もなく行っていた行動が、主の目にはよく映らない事があるかもしれません。
多分、何気なく行っている行動や言動で、主を悲しませたり、がっかりさせてしまっている事が多いんだろうな・・・と思うと心が萎えます。
「正義中毒」という言葉をここ数年で聞きます。
「自分が絶対に正しい」と思い込み、自分の考えに反する他人の言動に対し、「許せない」という感情が沸き上がり、正義感を持ち過剰に相手に攻撃的な言葉を浴びせ、叩き潰そうとすることを脳科学的に表現した言葉です。
よく聞いたのは、コロナ禍の「自粛警察」。県外ナンバーの車に嫌がらせをするなど、悪質行為が横行しました。
他人を罰すると、私たちの脳は快感を覚えるようです💦
これって怖いですよね。脳の快感・・次から次へと快感を求め、止める事が難しくなるそうです。
元からこの様な脳を人間は持って生まれたのでしょうか。
主が人間を創造された時にはなかったと思います。エデンの園から追放され、心も主から離れてしまい、罪を犯し続けてきたのです。
罪を犯し続けてきたDNAを私たちは引き継いでしまっているのです。
だから尚更、良心が必ずしも正しいとは言えないと思います。
私たちの考えや思いは、主からかなりズレてしまっているという事を、心に留めるのが良いと思います。
うちの子どもたちも少しづつ大きくなり、長男は、「自分が絶対に正しいとは思わないで」という言葉の意味を理解します。
14歳の次男は、理解しつつも「流石に今回ばかりは、〇〇くんが悪くない?」と口にする事があります。そうですよね~ その気持ちも凄くわかります。大人でも難しいです。
しかし、少しづつ色んな事を理解し、信仰も成長していっています。
私も子どもも日々、祈り聖書を読み、整えてもらう必要があります・・・
何が正しいのか、何が間違っているのか・・
これも大切ですが、正しさを求める者より、主の愛を求める者になりたいです!
今日も、主の導きの中を歩んでください!
良き一日となりますように・・