自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
ルカ6:31
「甘えの構造」という本を知っていますか?
日本人独特の感情「甘え」について書いてあります。
この本で言う「甘え」とは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、「日本人特有の感情」であり、私たちはこの「甘え」を持っているようです。
一番分かりやすい例えが、親子関係です。親子でない人間関係においても、親子関係のような親密さを求めてしまっているようです。
言わなくても分かって欲しい。私の寂しい気持ち分かってくれるよね。今、大変なの知ってるよね? 今まで私がどれ程の我慢して来たか相手も分かってるハズ・・・
「甘え」は、日本人の心理と日本社会の構造を、わかるための重要なキーワードだそうです。
確かに・・・日本は「高コンテクスト文化」に当てはまるそうです。空気を読む文化。言語化された言葉だけでなく、その表情や身振り手振り、相手の背景まで考慮して、人の話を聞くのです。(反対に、「低コンテクスト文化」もあります。ドイツなど。言葉に表された内容のみを受け取る)
何が言いたいかと言うと、私たちは本能的に?無意識に?当たり前のように?
自分の周りの人に対して、特に親しい間柄に対して、つい、色々な要求をしてしまっているのです。
分かって欲しい。察して欲しい。手伝って欲しい。愛して欲しい。優しくして欲しい。受け入れて欲しい。大切にして欲しい。
一見、このような思いは、自己中心的で欠点のようにも感じます。
しかし、このような気持ちは、間違っている訳でもなく、わがままなだとも言えないと思います。
そのように要求出来るのは、相手に期待していて、相手を信じている証拠でもあるからです。
外国の方が、日本に来て驚く事は、人が親切。街がキレイ。など色々あると思いますが、その中の一つに、外国の方が日本で入院した時に驚かれます!
看護師さん達が本当に親切で、何も言わなくても私が何を欲しがっているか、何を必要としているか察してくれるのには、本当にビックリするし、感動するようです。
聖書は、「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」と言っています。
あなたも同じことを、相手に行いなさいと言っているのです。
そして、「まず私が」先にすることを求めています。
甘えの構造の本の通り、日本人に独特の感情「甘え」があるならば、(多分ある・・)
私たちは「まず私が」が、出来る賜物が与えられているのかもしれません。
誰でも、今、自分が持っている短所のように感じているものも、良い方向、主の御心に適う様に使う事も出来るし、短所で使うことも出来るのです。
長所も短所も含め、自分は何を持っているのか考えたいと思います。
一見、短所にみえても、主によって賜物として用いられることが出来るように・・
今日も主を求める一日となりますように。