さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネ7:37-38
自分の魂を満足させるもの・・・何でしょうか?
多くの人は、上昇思考です。より高い地位や、より良いものを目指す心の持ち方です。
トランプ元大統領でさえ「もう少し財産があれば・・」という言葉を使われたことがあるようです。
より快適に、より自分の思い描いた生活に近づけるように、お金を求めます。
お金さえあれば、人生の殆どの問題から解放されると信じています。
実際にそう感じるかもしれません。
お金があれば、住みたい所に住み、食べたい物を食べ、好きな事をして過ごせるのです。
満員電車から解放されるかもしれないし、人間関係に悩まなくてもいい。
「今ある生活」や、「将来」に対しての不安が無くなるように思ってしまいがちです。
多くの人は、満足いく生活まで到達していないので、その様な夢を見るのです。
戦後、日本には食べ物がなくなり、日本中が飢餓の時代でした。空腹を満たす事を求め一生懸命働いたのです。豊かな生活をしたいと誰もが思ったようです。
そして、経済成長の時代には、物質的な豊かさを求めて一生懸命に働きました。
物が豊かになり、食べたい物を食べれるようになり、したい事を出来るようになりました。戦後の時に、思い描いていた満たされた生活を手に入れたのです。
しかし、食べ物や物質的に豊かになった次は「心の満たし」が必要だと思ったのです。
旅行や、スポーツ、趣味に満たされた生活を目指します。 年配の方も、今まで出来なかった事を楽しもうと満たしを求めて動き出しました。
確実に、求めていた生活を手に入れる事が出来る生活へとなってきました。
しかし、世界で見ても、日本の自殺者数は高く、令和3年の自殺者は、年間21000人です。
私たちも、〇〇さえ手に入れる事が出来たら、〇〇大学さえ、合格できれば、〇〇会社さえ内定もらえれば・・・と考えた事ありますよね。
手に入れると、それは手に入れた瞬間、心は満たされます。しかし同時にそれは過去となり、自分を満たすものとしての満足感が下がってしまっています。自分が望む、心の満たしは、一瞬だけなのです。
また次から次へと、欲しいもの、手に入れたいもの、目標が変わっていきます。
私たちはずっと、心の満たしを追いかけて、生きているのです。
自分を満たすものって何でしょうか?
聖書でしょうか? 賛美? 祈り? 奉仕? 本当にそうでしょうか?
毎週、礼拝に参加し、賛美をして、牧師先生の説教を聞き、祈っていても、「満たされている!!」とまで感じなかったり、奉仕疲れをしてしまったり。
主だけが私たちを満たしてくれる存在だと思っています。
しかし、実際にそうなっているでしょうか?
多分、私たちが、義務のように、習慣のように教会へ行き、礼拝を捧げているからではないでしょうか?
自分が救われた時のことを思い出して下さい。
多くの方が、今まで経験したことがない、魂の満たしを経験されたと思います。
今はどうでしょうか?
クリスチャンだから、日曜日は教会へ。義務感で、何となく、日曜日は教会だから・・・で
礼拝を捧げていないでしょうか?
私たちは、自分の魂を満たすものがキリストにあると知っています。
しかし、キリストにあると知りながら、満たされていないのです。
本来は、私たちが礼拝を捧げる時に、魂が満たされるようにされているのです。
主の事を考え、主を思う時、心が熱くなるようにされているのです。
礼拝を捧げる事が、義務ではなく喜びであれば、魂がみたされるのです。
喜び・・・何を喜ぶのでしょうか?
それは、キリスト教の本質である、「罪の赦し」です。
主にあって、私は救われた、私の罪が許された、この様な私をも主は愛して下さっている・・・
今から変えましょう!
義務での礼拝を。
何かのコミュニティに参加する時と同じです。義務からの集まりであれば心の中は「早く終わらないかな」です。
しかし、「今日、あのコミュニティに参加したら、〇〇さんと会える!」と思っての参加は、楽しい時間となるのです。
期待感を持って足を運ぶからです!
主と向き合おうと心に決め、礼拝を捧げようと決心して下さい。
そして、賛美も心から捧げる。
説教も何となく聞くのではなく、主が今、私に語られているんだという自覚をもって、聞いて下さい。
今日、主は私に何を語って下さるのだろう・・という期待感です!
「今の私に必要なメッセージを主が話されている」のです。
説教を自分の物として下さい。
満たされたクリスチャンたちは、共に喜ぶ為に教会に集います。
信仰生活が豊かになりますように・・・
主は、求める者に与えて下さる方です。
今日、主の中で満たされた一日を実感できますように・・・