22 その後、イエスは弟子たちと、ユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。
23 一方ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。人々は次々にやって来て。バプテスマを受けていた。
24 ―ヨハネは、まだ投獄されていなかったからである。―
25 それで、ヨハネの弟子たちが、あるユダヤ人ときよめについて議論した。
26 彼らはヨハネのところに来て言った。「先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます。」
27 ヨハネは答えて言った。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。
28 あなたがたこそ、『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である』と私が言ったことの証人です。
29 花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。
30 あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。
31 上から来る方は、すべてのものの上におられ、地から出る者は地に属し、地のことばを話す。天から来る方は、すべてのものの上におられる。
32 この方は見たこと、また聞いたことをあかしされるが、だれもそのあかしを受け入れない。
33 そのあかしを受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押したのである。
34 神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。
35 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。
36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
こんな事を思い出しました(笑)
長男が保育園に通っている時に、誕生日におもちゃを買いに行きました。
お店で同じ保育園のお友達に会いました。小さな子どもは外で偶然会うとスッゴク喜びますよね。
2人ともテンションが高くなり・・楽しくおもちゃを選びました。
そしてうち子も、お友達も互いに欲しい物を選び会計をし、少しの間、おもちゃ屋さんで一緒に遊びました。
楽しい時間を過ごし、家に帰りました。家に帰ってもテンション高く、新しいおもちゃで遊んでいました。
しかし、20分ほどすると・・急に長男の元気がなくなり、しょんぼりしています。
「どうしたの??」と聞くと「〇〇くんのおもちゃの方が良かった・・・同じのが欲しかった。」と言って泣くのです。
数日経って、〇〇くんのお母さんと保育園で会いました。そして私が「あんなにおもちゃ喜んでいたのに、家に帰ったら〇〇くんと同じおもちゃが欲しかった・・って泣いたのよ~」と言ったら、
そのお母さんも笑い、「うちの子も一緒!! 家に帰ってお風呂終わってから、あっちのおもちゃの方が欲しかったって言ってた(笑)」との事。
子どもに在りがちなパターンですが・・
私たち大人も同じではないかと思います💦
会社で働いている時、国内旅行をして満足して帰って来たのですが、次の日、同僚が海外旅行から帰って来てお土産を配っていました。
ついさっきまで楽しかった~と思っていたのに、何か一気にショボく感じました(笑)
服なども同じです。新しい服を買って初めて着る時は、何となくウキウキしているのですが、友達が素敵な服を着てるのを見ると、一気にウキウキがダウンします💦
それどころか、「あんなに素敵な服って高価だろうな・・私には買えないな・・」とか、ウキウキダウンより、もっと残念な気持ちが生じたりします💦
こんな経験はないですか? これって、何でしょう?
私が手に入れたもの(国内旅行、新しい服)は、変わらず私の手にあります。しかし、楽しかった気持ち、満足感、ウキウキがダウンしました。
「人と比べると幸福感が下がる」のです(笑)
私たちは、人と自分を比べたりとか、意識していないと思っていても意識しています。
今日の聖書の箇所。
ヨハネがバプテスマを授けています。
見るとヨルダンの向こう岸で、イエスさまもバプテスマを授けています。そしてイエスさまの方に人が沢山集まっているのです。
それを見たヨハネの弟子が「みな、あちらに行っています!」と言うのです。
ヨハネは気にも留めていなかったのですが、弟子たちは気になっていたようです。
ヨハネは、どうして気にならなかったのでしょうか?
現代でも、自分の小さな小さな教会の近所に、大きく立派で施設まで整った教会堂がいくつかあれば・・・「なんて綺麗な教会堂なんだろう~いいな~」と思いませんか?
ヨハネは、自分のビジョンを知ってたのです。
自分のビジョンは、人を集める為ではないし、誰かに認められる為でもなかったのです。
27節を見ると「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。」とヨハネが言っています。
ヨハネは、自分が神から与えられた使命は、あくまでも自分は「主の前ぶれ(先駆者)」に過ぎない者であることを知っています。
天から与えられたのは、この使命だけであって、その他のことは何もできないこと言っています。
ヨハネは、主が与えて下さった使命だけを遂行し、それ以上の欲を出さなかったのです。
人間は、欲を持っています。
始めは、主に与えられたものに感謝をしていても、人と比べてしまうと、自分の持っているものはつまらない物に感じてしまう事が多いのです。欲がでるのです。
他の人との人生を比べない人は、主の恵みに満足し、感謝な人生を歩む事が出来るのです。
ヨハネは、与えられたものに満足し、それ以上の欲を出さなかったのです。
私たちは、それぞれの場所で生きて行くのと同じで、それぞれ与えられたものを使命とし、生きて行くべきなのです。
自分にとって一番のものを与えて下さる神様です。
自分に与えられたものに感謝しながら過ごす一日となりますように!