彼らに言った。「私たちは、異邦人に売られた私たちの兄弟、ユダヤ人を、できるかぎり買い取った。それなのに、あなたがたはまた、自分の兄弟たちを売ろうとしている。私たちが彼らを買わなければならないのだ。」すると、彼らは黙ってしまい、一言も言いだせなかった。
私は言い続けた。「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは、私たちの敵である異邦人のそしりを受けないために、私たちの神を恐れながら歩むべきではないか。
ネヘミヤ5:8-9
今日の御言葉は、
”バビロン捕囚”にあっていた、南王国ユダの人々が解放された後の話です。
そして、かつてイスラエル王国があった地”エルサレム”に、70年ぶりに帰還することを許されたのです。
祭司であり総督ネヘミヤ中心で、エルサレム城壁の再建が始められました。
エルサレムの近国は、再建をさせまいと攻撃を企てます。 ユダヤの民は、片手に剣や槍を持ちながら再建に取り組みます。夜は城壁を見守り、昼は働くという生活です。
帰還したユダの人々は貧しい人が多かったようです。ペルシャ政府への税金の取り立てもあり、天候不順による、飢きんも重なりました。自分の仕事を休んで、エルサレムの城壁再建の大工事が行われていたのです。
民は食べるのに困り、自分の娘を奴隷に出す家庭も出てきました。民とその妻たちは、その同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声を上げた。
ネヘミヤはその状況を知り、怒り、ユダの民のお金持ちたちに言ったのが、上記の御言葉です。
お金持ちの階級の人々は、貧しい人々の困窮を助けるべき同胞でありながら、その困窮に付け込む形で、高利貸しをしていると叱責しました。
ネヘミヤの言葉に、お金持ち階級の人々は、黙り込んでしまい、貸した者に何も要求しないと約束し、誓いを立てました。
御言葉にあるように、お金持ち階級の人たちの行為は、同胞意識に欠如があったのです。
祖国を失い、70年も奴隷生活を送り、やっと解放され、自国に戻れたにも拘らず、自国民をもう一度、異国へ奴隷として売るような状態を作っていたのです。
もともと、ユダヤ人社会では、同胞への利息を禁止されていました。自分の事しか考えられなかったのです。
金持ち階級の人々の「同胞意識の欠如」「目的意識の欠如」です。
エルサレムの城壁を再建し、主を中心とした共同社会を築き上げると言う、「共通目的」をしっかり持つべきでした。
助け合うべき同胞にむけた無慈悲は、非難されるべきでした。
人間って愚かだと思いませんか?
私たちは、外から攻撃されると、一つになって戦うことがに集中できました。しかし、外からの攻撃が一段落すると、今度は内部分裂・不一致という問題が起きてしまいます。
これは、どの時代でも、どの世界でも起きる共通的課題のようです。
この様な歴史を通して、人間の習性を垣間見ると、外からの攻撃と言うのは、無意味なものではなく、主からの大きなメッセージの様に思います。
私たちはどうでしょうか?
同じクリスチャンとして「同胞意識」「共通目的意識」を持った信仰生活を送れているでしょうか?
教会内で、もめ事などはないでしょうか?
内部分裂・・・避ける事ができる問題のように思います。
自分は、お金持ち階級派ではないから・・・と安心しないで、
一つの教会に集まる神の子の共同体、主に喜ばれる姿で存在出来ているでしょうか?
自分の役割、共通の目的(信仰を持つ事、隣人を愛する事、主を知らない人に伝える事・・)を持てているか互いに気を配るべきだと思います。
「内部分裂・不一致」は、ちょっとした事から始まり、深い溝をつくるものです。
教会内で溝を作るのは一瞬ですが、一度できた溝の修復には、大変長い時間も気力もかかります。
今日も、主と共に豊かな一日をお過ごしください!
恵まれた一日となりますように!