私たちの行動基準とイエス様の行動基準(W.W.J.D)【ヨハネ11:47-57】

2022年

 そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を招集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに。

もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」

しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。

ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」

ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、

また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。

そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。

そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。

さて、ユダヤ人の過越の祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越の祭りの前にいなかからエルサレムに上って来た。

彼らはイエスを捜し、宮の中に立って、互いに言った。「あなたがたはどう思いますか。あの方は祭りに来られることはないでしょうか。」

さて、祭司長、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた。

ヨハネ11:47-57

 

今日は「行動基準」について考えさせらせました。

私たちの行動基準と、イエス様の行動基準… 今日の聖書の個所からどう違いがあるのか考える時間となりました。

祭司長たちとパリサイ人たちは、イエス様がラザロを生き返らせたという話を耳にして慌てている場面です。「私たちは何をしているのか…このままではすべての人がイエス様を信じてしまう。そうなれば、ローマから我々の土地も国民も奪い取られる…」

人々がイエス様を信じたら、自分たちの財産が没収され、今までのように生活できなくなると心配したのです。地位や名誉もなくなると考えたようです。

ラザロを生き返らせたという「しるし」の話を聞き、信仰と自分の生活、立場を天秤にかけてみて、自分の生活や立場を選択したのです。

祭司長たちとパリサイ人たちの「損得勘定」の結果、イエス様を排除しようと考えました。

当時の大祭司カヤパも同じです。イエス様を受け入れたら自分の地位を失い、拒絶することによって自分と自分の家族が不利益を被らないという「損得勘定」をしました。

この世に存在するいつかは無くなるものと、永遠の命を天秤にかけたのです。そして、目先のはかないものを選んだのです。

 

イエス様の行動基準はどうだったでしょうか?

ラザロを蘇らせるという「しるし」を行なえば、ご自分の「死」が近づく事をご存知でした。ご自分の処刑を知りながら、ベタニアに入ってこられ「しるし」を行われたのです。

ラザロを生き返らせるというのは、神の永遠の救いの計画を成し遂げるための第一歩です。私たちの罪のために十字架にかかって死なれるためです。それが神様のご計画だとイエス様もご存じでした。神様のご計画を成し遂げるために、ベタニアへ来られ、「しるし」を行われました。

イエス様はゲッセマネで祈りました。「わたしが望むことではなく、あなたの望まれるままに、なさってください」ということです。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていること知りながら、それがもし父なる神のみこころであるなら、そのとおりにしてください。これがイエスさまの判断基準だったのです。

 

私たちはどうでしょうか? 自分の判断基準、行動基準を見つめ直したいです。

パウロもこの世のものを「ちりあくた」だと表現しています。(ピリピ3:7-9)

聖書も「自分の宝を地上に積むのをやめなさい。宝は天に積みなさい」と書かれています。(マタイ6:19-20)

自分の損得勘定ではなく、主のみこころは何なのか、何が良いことで神に受け入れられることなのかを考え、霊的な損得勘定を基準に生きる者になりたいです。「わたしが望むことではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」と自らを主に明け渡すことができますように…

「主よ、お語りください。しもべは聞いています」という言葉が口癖のように、私の口から出るクリスチャンになりたいです。

どの様な損得勘定をするかによって、行動が変わってきます。

数年前に「W.W.J.D」と印字されたブレスレットが流行りました。”What would Jesus do?”の頭文字の”W.W.J.D.”を取ったもので、「主イエスなら、どうされるか」という意味です。

今日の御言葉を読んで… ブレスレットが欲しくなりました(笑)  常に記憶したいですよね。「主イエスなら、どうされるか」

タイトルとURLをコピーしました