1歩1歩、歩むことが大切【第2コリント5:7】

2022年

 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

第2コリント5:7

 

私たちは、いつも先が気になる。先回りして明日の事を考えたり、もっと先の事を想像したりする。

いつも「今」に集中するより「先」に心が奪われがち。

今していることが、果たして実を結ぶのか。 将来実を結ぶために今どうすればいいのか。

これは、世の中では大切な考えでもある。

 

世の中で大事なことが、信仰でも大事とは限らない。

信仰は「先」よりも「今」が大事。

私たちは主に信仰告白をして神の子とされ、主の道を歩いているにもかかわらず、いつも先が気になる。今歩んでいる道が果たしてどこに続く道なのか。何のためにこの道を通り、何のための時間を過ごすのか。

「先」にある「結果」や「理由」を知りたがる。

 

主の道は、1歩1歩、主と共に歩むもの。主もそれを望まれている。

もし巨大な山が目の前にあると分かったら、私たちは登る前から諦めてしまうかもしれない。

1歩も進まず、どの道から登るのかと言うのを考え始めるかもしれない。

目の前に巨大な山があるだけで、今はまだ平坦な道であっても進むのを躊躇するかもしれない。

今はまだ平坦な道にいながら、希望を持てなくなったり、気が重くなったりする。

 

もしかしたら、巨大な山に見えているが、思ったより登りやすい道かもしれない。

もしかしたら、その山にはトンネルがあり登らなくても先に進めるかもしれない。

 

主が望まれるのは、先々を心配せず、主の歩調に合わせ1歩1歩前進すること。

今歩いている道だけを考えて、主との旅路を楽しむ事。

 

目の前に見えるものが全てではない。

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