賛美の外套(がいとう)【イザヤ61:3】

2021年

シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。

イザヤ61:3

 

イザヤ書には「外套(がいとう)」という言葉が出てくる。 外套とは上に羽織るもの。

今日は外套について黙想してみたい。

イザヤ書にでてくる「外套」は対象的である。

 

復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおう(イザヤ59:17)

救いの衣を着せ、正義の外套をまとう(イザヤ61:10)

 

復讐という服を着て、その上にねたみの外套を羽織っている

救いという服を着て、正義の外套を羽織っている。

 

復讐やねたみというものは本当に根深いものだとわかる。

癒しを経験し、ねたみから解放され、ねたみの外套をやっとの思いで脱ぐことが出来ても

中に復讐という服を着ている・・・

聖書の言う「衣」「外套」は、自分を支配しているもの。

自分の重心。自分をコントロールしているもの。

また他者から見ての第一印象ともなるし、自分を外部から守るものである。

 

反対に、救いという服を着て、正義で身を固める・・・

神様の救いを深く体験したうえでの正しく生きる。人生の根本に「主の救い」がある。

 

私たちはどんな外套を着ているだろか。外套の下の服はどうだろうか。

救いと正義で身を固めれているだろうか。

私は「賛美の外套」で身まとい、キリストの香りを放つ者となりたい。

 

 

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