イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホポテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」
創世記26:22
最近読んだ聖書の箇所を夫が黙想。
創世記26章12〜25節
凄く恵まれたので記録したいと思います。
イサクはゲラルという土地で種を蒔き、
その年に百倍の収穫を得ました。
主が彼を祝福されたからです。
しかし、イサクは主の祝福を受けながらも
多くの理不尽に直面した人物です。
ペリシテ人はイサクの繁栄をねたみ、
父アブラハムの時代に掘られた井戸をすべて土でふさぎ、
「あなたは我々より強くなった」と言ってイサクを追い出しました。
それでもイサクは反抗せず、静かにその地を去ります。
新しい土地へ移って再び井戸を掘っても、
また争いが起き、井戸を奪われてしまいます。
イサクは怒らず、また別の場所へ移り、また井戸を掘りました。
そしてついに、争いのない井戸を得た時、
イサクはその場所を「レホボト(広い所)」と名づけ、
「今や主は私たちに広い所を与え、私たちはこの地で栄える」と告白しました。
イサクは争わずに譲る人でした。
それは弱さではなく、「信仰に支えられた強さ」です。
「理不尽の中にも主の御心がある」と信じ、
自ら退くことで、神の導きを待ちました。
その後、イサクは「ベエル・シェバ」へ導かれました。
ベエル・シェバとは、
「誓いの井戸」または「七つの井戸」という意味。
そこは、かつてアブラハムが神と契約を結び、主の名を呼んだ場所。
つまり、父アブラハムの信仰が記憶された、約束と平和の地でした。
イサクもそこで主に出会い、
「恐れるな。わたしはあなたと共にいる」という御言葉を受け取る事が出来たのです。
イサクは、争いが起きなかったレホボトの地に定住することにより、
同じネゲブ地方にある
ベエル・シェバが、イサクの目に入ったのです…。
主はイサクを「父の信仰の場所」へと導かれていたのです‼
理不尽な出来事を通して、
イサクは、祝福の地であるベエル・シェバへと近づいていたのです‼
…イサクは、井戸を掘るという途方もない努力をしました。
それは命を支える水を得るための、
時間も労力もかかる大仕事です。
にもかかわらず、
その井戸を、何度も理不尽に奪われるという経験をしました。
それでもイサクは信仰を失わず、
争う代わりに譲る道を選び続けました。
そしてその歩みの果てに、
主は彼を、ベエル・シェバという特別な場所へと導かれた…。
私たちの人生にも、理不尽なことが起こります。
「どうしてですか、主よ? なぜですか?」と訴えたくなることがあります。
けれども、このイサクの話を読むと、
それもまた、主の導きの中なのだ…と思わされます。
理不尽な思いをしても、
主が私を「ベエル・シェバ」へ導こうとしておられるのかもしれない‼
だったら…私は安心して譲る者となりたい…!
主に委ねて、静かに主の祝福を譲る信仰。
これは、祝福を流すという行為ともいえる…!
主よ! 私もイサクのように
争わずに譲る…という
信仰に支えられた強さを、与えて下さい…!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

