永遠のいのちは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。
ヨハネ17:3
本箱を整理していたら、結婚した当時買った「韓国料理」の本が出てきました。
懐かしいな…と思いながら本を見てみると、
作り方が分かりにくい…。
今は料理本なんて買わなくても、クックパッドなどで
検索すれば沢山レシピが出てきます。
今は、作り方の文字を読まなくても動画で説明してくれます。
なんて便利な時代…。
昔は、韓国料理の本も数冊しかなく、
何度もこの本を開いて助けを得たはず。
しかし時代が変わり、役に立っていた料理本に「不便さ」を感じたのです。
どうしてだろう…と考えました。
今の私には、どうしても「手軽さ」を求めてしまう傾向があるのです。
…信仰も同じかもしれません。
何度となく試練や誘惑、問題に苛まれ、
不自由さ、苦しさからの素早い解放を模索したり求めたり…。
ともすれば、聖書を読む時も
普段からその様な読み方をしてるかも…。と思いました。
どうしてモーセは約束の地に入れなかったんだろう?
どのような失敗をしたから入れなかったんだろう?
モーセの何が主を怒らせたんだろう?
どうしてルツの姑のナオミは、主人エリメレクを亡くし、
子ども2人まで亡くしたんだろう…
ヨブは主に「潔白で正しく、神を恐れ、
悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない」とまで言われていたのに
どうして試みに遭う事を主は許されたんだろう…?
聖書を読みながら…
困難や苦しみの「原因」を探ろうとしてしまう…。
無意識に、どうしてだろう…? これが理由…?と思ってしまう。
このような考えは、多分、自分から困難や苦しみを
遠ざけたいから…じゃないか?
試練や苦しみには遭いたくない…。
だから、聖書を読みながらも、
これが原因で試練にあったのか!というような
分かりやすいレシピが欲しいのです。
反対に「こんな事をしたから、主に評価され祝福された」というレシピも欲しい!
でも…聖書は、レシピでもなければ、
教訓を与える書物でもない…。
聖書は私の「便利さ」「時短」「分かりやすさ」
「苦労ゼロ」を満たすためにあるのではなく
主ご自身を知るために与えられたもの。
だからこそ、聖書に書かれている人物たちの
失敗や苦しみ、また栄光や祝福を、
単なる「原因と結果」のレシピのように
読み解こうとすると、大切な本当の意味を見失ってしまう💦
モーセも、ナオミも、ヨブも――
彼らの人生の出来事を通して現れているのは、
「人間がどう生きるべきか」という手引きよりも、
「主はどのようなお方であるのか」という真実。
聖書は、主はどんな時にも共におられ、
どんな状況の中でも、ご自身を現してくださることを示している…。
料理のレシピは、材料と手順を踏めば、ある程度同じ味(結果)を再現できます。
でも信仰は、レシピ通りに進めば思い通りになるというものではない…。
むしろ、理解できない「不便さ」や「遠回り」の中でも、
主がどのように導いてくださるのかを知っていく。
私たちは聖書を通して、
「主はどのようなお方であり、その主が私たちをどのように愛し、救いへ導いておられるか」
を知っていく為のもの。
私の問題解決や、祝福の受け方の指針書でもなければ、
人生の教訓を教えるものでもない。
試練に弱い私は、今日も「なぜ?」という問いを抱きつつも、
現状の要因を探すのではなく、
主をもっともっと知っていく為に、
主の御心を自分の思いと出来るように
聖書を読もう…!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28