主は私を忘れられたのではないか?【出エジプト32:32】

2025年

この民をお赦しください。もしそうでなければ、私をもあなたの書から消し去ってください。

出エジプト32:32

私は聖書を読みながら、いくつもの疑問を抱きます。

その中の一つが、モーセの人生です。

モーセは厳しい時代に生まれました。

エジプトの王ファラオは、生まれた男の子をナイル川に投げ入れよと命じていたのです。

これは、エジプトに奴隷として住んでいたイスラエル人が増えたため、

ファラオが危機を感じて出した命令でした。

約100%の確率で生き延びることは不可能でした。

にもかかわらず、モーセは生き延びただけでなく、

ファラオの娘の養子となり、

実の母が乳母として育てるという特別な恵みを受けました。

さらに、エジプト最高の教育を受けて成長したのです。

しかしある日、同胞を虐げるエジプト人を殺してしまいました。

モーセは同胞が奴隷として苦しむ姿を見て、

自分こそ解放のために立ち上がるべきだと感じたのでしょう。

きっと、同胞が自分の行動を理解し支持してくれると

思ったのではないでしょうか。

しかし現実は、同胞から恐れと反発を受けました。

その結果、モーセは40歳の時にミディアンの荒野へと逃れたのです。

そこで過ごしたのは40年。

この40年、モーセはどのような思いで過ごしたのだろうか――これが私の大きな疑問でした。

将来、モーセに会ったら、是非ともこの時の心情を聞きたい…!

モーセの人生は「エジプトで養子として40年」

「荒野で40年」「出エジプトの指導者として40年」。

合計120年でした。

荒野での40年間、彼は何を考えていたのでしょうか。

もし私がモーセなら、疑問ばかりだったと思います。

モーセが自分の人生を振り返った時、

100%助かることが不可能な状況の中で、

想像もできない方法によって、

主に生かされたことを思い出したはずです。

「きっと私には神の計画があるはずだったのに…」と

彼は何度も思ったのではないでしょうか?

主に選ばれた人生を歩むはずだったのに…

それにもかかわらず、エジプトを離れ、

人目を避けて羊飼いとして過ごした40年。

宮殿で育ったエリートが、荒野で無名の羊飼いとなったのです。

私たちは聖書を通して、その後モーセがどのように用いられるかを知っています。

この40年は、神の目には「指導者となるための訓練」だったのでしょう。

しかし、当時のモーセにとってはどうだったでしょうか。

自分は「失敗者」だと思ったのではないでしょうか。

生まれた時には特別に選ばれた人物のように思えたのに、

まるで落第したかのように感じたのではないでしょうか。

「主は私を忘れられたのではないか」

――そう何度も考えたのではないでしょうか。

また、同胞のために立ち上がったのに、

受け入れられなかったという「裏切られた感覚」も、

彼の心に深い傷を残したと思います。

そして荒野で40年が過ぎたとき、燃える柴の中で主に出会います。

今まで沈黙していた主が、

突然「さあ行きなさい。わたしはあなたをエジプトに遣わそう」と語られたのです。

こうしてモーセは再び立ち上がり、同胞の解放に向かいました。

また、同胞の為を思い立ち上がったのに、

その同胞に受け入れられなかった現実があります。

裏切られた感を深く感じたと思います。

それらは、モーセの心の傷になったのではないか?と思うのです。

出エジプトは簡単ではありません。

成人男子だけで60万人。

女性や子どもを入れたら200~300万人と言われています。

札幌市や名古屋市、大阪市の人口に当たります…💦

民をエジプトから連れ出すのも大変でした。

そしてエジプトを出てからも、エジプト人が攻めてきて

海が裂かれる体験をしました。

また民はマラでの水は苦くて飲めない!

食べ物がない!エジプトの方がマシだ!

と、自分たちを救い出したリーダーに向かって

不平不満を言い続けたのです。

モーセがシナイ山に登っている間、

民は金の子牛を作り「これが我々を救った神だ!」と祭りを行いました。

私は、これはモーセにとって

「裏切りの再体験」だったのではないかと思います。

命がけで導いた民が、再び自分も神も見捨てて偶像に走った。

――若い頃に味わった同胞からの拒絶が、

再び思い起こされたのではないでしょうか。

モーセは激しく怒り、石の板を砕き、偶像を破壊しました。

しかしその後、民のために必死にとりなし、

「この民をお赦しください。もしそうでなければ、

私をもあなたの書から消し去ってください」(出32:32)とまで祈ったのです。

すごいと思いませんか?

かつて拒絶されて傷つき逃げたモーセが、

今度は拒絶されてもなお民のために立ち続け、

とりなし、神の前にとどまったのです。

これはまさに「同じ傷を新しい形で体験し、

それを通して癒され、成熟する」プロセスだったと思います。

主はモーセに、かつての拒絶を別の形で体験させ、

それを通して心の傷を回復させる機会を与えられたように思います。

心の大きな傷は、大きな癒しに変えられるのです。

神はモーセが「真の牧者」となるために、

40年間という弱さと向き合う時間を与えられました。

「主は私を忘れられたのではないか」と思える時間も、

実は主が私たちの成熟を待っておられる時なんだと思います…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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