自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。
箴言25:28
今日、こんな話を聞きました。
野生の馬を調教して「駿馬(しゅんめ)」を育てる方法。
駿馬とは、速さ・強さ・美しさ・賢さを兼ね備えた「究極の馬」。
駿馬は、現実でも理想でも、常に「英雄の相棒」
昔では王や貴族、将軍などが乗ってた馬。
壮大な草原に暮らしていた野生馬が、調教師の目に留まり
牧場に連れて来られました。
自由を愛する馬は、訓練に反抗…
しかし次第に調教師の声に耳を傾けるようになるのです。
ある日、調教師は馬に水を与えず、
炎天下の中を長時間歩かせ、
喉の渇きが極限に達した頃、馬を川のそばへ連れて行く。
水を目の前にして馬が「やっと水が飲める」と思ったその瞬間、
調教師は「こちらに来い」と声をかける。
馬は本能と葛藤しながらも、水を飲まずに調教師の元へと戻ってくる。
それを見た調教師は、馬が自らの欲望よりも
主の声に従うことを選ぶ事が出来れば「駿馬」となるという話。
これは、従順・自己制御・信頼の大切さを描いた例え話だそうです。
この話を聞いて「モーセ」を思い出しました。
モーセは、イスラエルの民をエジプトから導き出し、
荒野を40年も導いた偉大な指導者。
しかし彼は、約束の地を目の前にして入る事が出来ませんでした。
なぜでしょうか?
民数記20章にその理由が記されています。
イスラエルの民が再び水がないと不満を言い、
神はモーセに「岩に向かって語りかけなさい」と命じます。
けれどもモーセは、怒りのあまり、
神の命令を破り、杖で岩を二度打ってしまいました。
彼の怒りは、ある意味理解できます。
民は何度も不平を言い、神への不信を繰り返していたのです。
しかし、指導者であるモーセに求められていたのは、
「怒り」ではなく「温厚さ」でした。
主に従う静かな強さ、感情を抑える自制が求められていたんだと思います。
喉の渇きが極限に達した馬…
川辺まで来て「こっちに来い」という声に従えるだろうか。
私が馬だったら…
完全に水を飲んでから従いそう…💦
モーセも40年もの苦労を重ね、
約束の地を目前にしながら「あなたは入れない」と言われたのです。
馬もモーセも
自分の主人に従う事が出来たのは
「従順」「自己制御」「信頼」
そして「柔和」だと思います。
「柔和」とは、単なる「優しさ」や「おとなしさ」ではなく、
制御された力、謙遜さ、温和な態度を意味すると思います。
私たちが「正しいことをしている」と思っていても、
感情や自己肯定に流されてしまうと
主の意志から外れてしまうという厳粛な教訓のように感じました。
自分の思い・感情をコントロールできる神の子になりたい…。
神の子として、従順・自制・信頼・柔和を身につけていく
日々の歩み、人生を、送りたい…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)