互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
ガラテヤ6:2
私はパートで週に2日、夜勤の看護助手をしています。
病院の夜って何をしてるの?
する事ってあるの?と聞かれます。
病棟にもよるかもしれませんが、病院の夜は大忙しです。
私は消化器内科にいます。
患者さんの多くはアルコール中毒の患者さんです。
80代90代の方も多く、痴呆の症状の方も多いのです。
また治療により「せん妄状態」の方も多い…。
夜、眠る事が出来なく睡眠薬を求める人が多いのです
しかし眠剤を飲んでも寝れない人も多いのです。
10分置きにナースコールを鳴らされる方もいます。
それは寂しさであったり、気にかけて欲しいという
思いからだと思います。
しかし、その要求全てに応える事が出来ません…
夜は限られた人数。万一、急変であったり、
転倒した場合、一気に緊張状態になるのです。
働きだして丁度2年経ちました。
看護師さんって本当に大変な仕事だな…と改めて思いました。
医療を行いながら、鳴りやまないナースコールや
痴呆の方や暴言、わがままとも向き合うのです。
私は週に2回しか働かないし、私が仕事の日は
積極的に私が痴呆の方、せん妄の方を対応するようにしています。
殆どの方は今自分が病院にいるという事が分かっていません。
ある人は閉じ込められていると思い込んでいる人もいるのです。
「こんな所に監禁して!訴えてやる!」と叫びます。
今、治療を受けないといけない状況であり入院中。
ご家族も了承してる。と伝え、患者さんが理解したとしても
それは一瞬。10分経てば同じことを繰り返すのです。
私自身、夜中にしないといけない仕事もあります。
対応だけで過ごす事は出来ないのです。
しかし、多くの人は手を取り「病院で過ごすの寂しいよね。
ずっとお話出来たらいいんだけど。
夜は看護師さんの数が少ないの。
病院は急変が出たら大変。本当に困った時は私を呼んで。
でも急ぎの用事でなかったら他の患者さんの為にも、
私を呼ぶのを待って欲しいな。
でも本当に困って助けを求めたい時は、
コールを鳴らしてくれたら絶対に直ぐに来るから」というと
1時間位は納得してくれます。
そしてまた同じ話をして1時間後また呼ばれるのです。
ある時、その日の朝に入院した70代位の女性がいました。
確認する事がありベッドにいったのですが、
色々な家族や友達の話をされるのです。
私のポケットにあるナースコールが何度も鳴ります。
「あ、ごめんなさいね。ちょっと呼ばれてるので、又来ますね!」というと
「あ、じゃ最後に引き出しから取って欲しいものがあるの」と言われます。
「ごめんね、このナースコールの対応が終わったら直ぐに来ます!」というと
「私は急いでるの!緊急!」
仕方なしに対応。そして手渡すと、次から次へとして欲しい事を言うのです。
話し方や顔つきを見ると、しっかりされています。痴呆症ではない様子。
私の心が乱れ始めました。
何なんだろう…この人は…。
2泊3日の入院では考えられない位の沢山の荷物。
入院してまだ10時間位しか経っていないのに、
ベッド周りはゴミ屋敷化してきている…
一晩のうちに、何度もこれを繰り返すのです。
このAさんの所に行く度に
「何なんだろう…この人は?」と心が乱れ
「Aさんが求めてる事は何なんだろう?」
単なる寂しさでもなさそう…
「私は自分で出来ないからして欲しいと言ってるのに
それはして貰えないの?」と言い、言葉使いも攻撃的になり、
ベッド周りの荷物の整理までして欲しいというのです。
「Aさんが入院中、一時的であっとしても
動けなくなった場合、私はお手伝いしますよ。
でもAさんは動くことが出来ますよね。
ご自分で頑張って欲しいです。
本当に寝たきりの人にお手伝いをしたいから」というと
「じゃ、最後にカバンの中の下着を取って」というのです。
私は内心イライラしながら、
「一体なんなんだろう…この人の心の底には何が入ってるんだろう?」と思いながら。
Aさんは「多分カバンの底にある」というのです。
私は下着見つけ、手に取ったら、
その下着の下に「聖書」があったのです…💦
「え…まさかの聖書?(笑)」と思いました。
ビックリしてクリスチャンなのかとも聞かずに
少し逃げるようにベッドを離れました💦
え・・・何なんだろう?
私は今までこのような患者さんに対して
イライラする事は殆どなかったのです。
痴呆やせん妄は、病気だから騒がれても仕方ないと
思っていました。
でもAさんは何か違う…
そして患者さんに「この人の心の奥底に何が入ってるんだろう?」
なんて思った事がありませんでした。
カバンの底に聖書…。
主は私に何を語っておられるんだろう?
これは数週間前の話です。
ずっと、あのカバンの底に聖書ってなんだったんだろう?と
ずっと考えていました。
この数週間の間に、私にも色々な問題がありました。
そんな中での私の理解です。
もしかしたらAさんは、所属している教会で嫌われているかもしれない。
なんて文句言いなんだと思われているかもしれない。
自分の主張だけが強すぎると煙たがられているかもしれません。
多分多くの教会にいる、
付き合いにくい人は、同じクリスチャンの人たちに敬遠されがち。
「あの人、本当にクリスチャンなのか?」と思われているかもしれません。
そしてその人もまた、自然体の自分を受け入れてくれないと
寂しい思いをしているのです。
性格や思考、言動などの足並みが揃わないと
周りも本人も辛いのです。
そんなことを考えていたある夜、ふと、心の中に問いが湧いてきました。
「もしAさんが、私と同じ教会の姉妹だったら…」
私はどう付き合うだろう…?
距離を取りたくなると思います。
会話をすればするほど、私の心が乱れるのです💦
でも、イエスさまならどうされるだろう?と思った時、
心がじわりと熱くなりました。
イエスさまは、わざわざ多くの群衆がいる前で
ザアカイに声をかけられました。
そして特別扱いとまでいえる様な会話をされたのです。
ザアカイと共に時間を過ごすことを望まれたのです。
…今回このAさんに出会うまでは
「ザアカイは取税人で嫌われ者。主はそのザアカイを愛された」
という事を聖書を読んで知っていました。
しかし、目の前に自分にとってのザアカイが現われ
主はこのザアカイのようなAさんも愛されている。
このAさんの為にも十字架に架かられたんだ…
Aさんが何を求めていたのか、私は今も正確にはわかりません。
けれどあの夜、私はAさんの “面倒さ” にしか目が向いていませんでした。
でも本当は、主がAさんの深い孤独や痛みを知っていて、
私にもそれを見てほしかったのではないか…
また、私自身も誰かのザアカイとなっている可能性もあります💦
そんな思いが、じわじわと心に広がりました。
カバンの底に置かれた聖書。
もしかしたら、それは「私にとってザアカイのようなAさんの心の奥底にも主がいる」
という、しるしだったのかもしれません。
見えるところでは愛しにくい人。
けれど、その人の魂の奥に主が共におられるなら、
私もまた、主に目を向けるように、その人に目を向けたい…。
距離を置きたくなる心が芽生えたとき、
まず主に「どう関わればいいですか?」と
尋ねていけるようになりたいです…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)