そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:3-5
今日、自転車でスーパーへ。
その帰り道、少し狭い住宅街の道路の前方に、
ハトが20羽ほど群がっていました。
何かを奪い合っているわけでもなく、
ただ静かに集まっているのです。
「餌かな?」とも思いましたが、そんな様子もなく、
道路にたたずんでいるように見えました。
私は自転車に乗っていたので、
「私が通ったらビックリして一斉に飛び立つかも…。
その方が私もビックリするかも…」と少し慎重になりました。
できるだけ音を立てず、
少し速度を落としてハトのすぐ横を通り過ぎました。
でも、不思議なことに一羽も飛びませんでした。
私の存在を確かに感じていたはずです。
私が通り過ぎる瞬間、何羽かの目と確かに合った気がします。
それでも、彼らは一歩も動かず、ただ静かに立っていました。
「あれ?ハトって、もっとビクビクしてなかったっけ?」
私はそう思いました。
人の気配や車の音に敏感に反応して、すぐに羽ばたき、
その姿に驚いたハトも羽ばたいて逃げていく
それがハトの姿だったはず。
でも今日出会ったハトたちは違いました。
人間に慣れていたのです。
私はその姿を見ながら、
「あぁ、このハトたちはたくさんの ‟ビックリ” を
何度も経験してきたんだな」と思いました。
子どもに追いかけられたり、猫に脅かされたり、
車の音や工事の騒音、時には人に怒られたりしながら、
何度も、何度も、驚きと緊張の中で暮らしてきたはず。
でも、その経験が積み重なることで、
本能的な怖がりさえも超えていくような
落ち着きと図太さを身につけたのです。
それを見て私は「なるほど…信仰も同じかもしれない」と思いました。
私たちも、人生の中でさまざまな試練に出会います。
苦しくて眠れない夜。心配ごとで胸が詰まる朝。
誰にも打ち明けられず、ひとり涙する夕暮れ。
「なんでこんなことが続くのだろう?」と問いたくなるような時間…。
でも、そうした一つひとつの出来事が、
経験となり、心を鍛え、信仰を深めてくれるのだと思うのです。
ただしそれは、単に「つらさに慣れる」という話ではありません。
大切なのは、その苦しみの中で「主と出会う」経験をすること。
苦しみの中でしか味わえない神の慰め、導き、平安を知ること。
その経験こそが、私たちの信仰を根から強くし、
揺るぎないものにしてくれる…。
だからこそ、試練のときには、
ただ「我慢」するだけではダメなんだと思います。
「主よ、あなたがこの困難の中にも共におられることを感謝します。
あなたが私に何を教えようとしておられるのか、悟ることができますように。
この苦しみの中でも、あなたの御顔を仰ぎ見ることができますように。」
そう祈りながら、主と共に試練を歩む経験を積んでいくのです。
ハトが自転車くらいではもう驚かなくなったように、
私たちもまた「神と共に苦しみをくぐり抜けた経験」を通して、
ちょっとしたトラブルに動じない、
落ち着きと、良い図太さ持ち構えた信仰者へと
成長していけるのだと思います。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)