17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ローマ12:17-21
私は、昨日一つの選択を主に迫られました。
私がもつ、学校の問題。
私は「悪者」のように扱われています。
全校保護者に向けて、理事会に向けて、学校関係者に向けて
学校の一方的な主張で、
私を「悪」として問題視する発言が至る所で広められています。
私には、自分の思いや立場、意見を主張する機会もなく
一方的に力で押さえつけられている状態。
告訴・調停・民事・刑事という言葉まで発信しています。
先日、学校の行事があり
初めて会った保護者に「あ~あなた、今、学校に裁判かけられている人?」と言われました。
「主よ…私は間違った事をしていますか?
私は。まるでヨブのよう…。
全てを失い、友にまで攻められるヨブ。」
このように呟くような祈りが、数ヶ月続いていました。
いつまで続くんだろう…
いつまで私は権力や圧力に押さえつけられ、
悪者として存在させられるんだろう…。
そう祈りながらも、
私はこの関係を終わらせる方法を
心の奥底では分かっていました。
私にとって、私を悪だと押さえつける方々は「私の敵」なのです。
もし、私がその敵意に対して同じ方法でやり返したら、
私自身も「誰かの敵」になるのです。
悪を行なってくる敵に対して、私は悪で返してはいけない…。
敵に復讐しようとすると、
自分自身も「悪に飲み込まれた存在」になってしまうのです。
私は、自分の主張が間違っているとは思っていません。
保護者として正しい・良いと思う主張をしているのです。
しかし、自分が良いと正しいと思っている主張。
主の目には本当にそれが100%正しいかどうかは分かりません。
だから、私が敵を悪として見れば見るほど、
自分もまた「正義の顔をした敵」になる危険があるのです。
だから、私は敵に対して悪で返してはならない。
互いに悪で対立すれば、それは終わりがなく、
その悪は大きくなるばかり。
この世は主の世界。
主の世界を悪で満たしたらダメなのです。
この関係を断ち切る方法は一つしかないのです。
そう思うと、聖書って本当に正しい…と感じます。
今回のこの問題を通して本当にそう感じました。
この関係を断ち切るには「愛」しかないのです。
敵を愛しなさい。
これは本当に正しい…。
主の世界は、愛の世界だから。
愛は「やさしさ」だけではなく、
愛は、悪の連鎖を断ち切る為の「武器」です。
唯一の武器。
もし誰かが自分に悪を行ない「敵」と見なしたとしても
私はその人を「敵」としてはいけない…
悪に対して悪で返してはいけない…。
私たちは、愛という武器で断ち切って行かないといけない…。
ガラテヤ6:7にあるように
主の世界は「蒔いた種は、自分が刈り取る」のです。
だから、たとえ今、私が悪者にされても、それでそれでいい…
力で私を抑え込もうとする人がいても、
それはその人たちの「種」。
私たちは、この主の世界に「愛の種」を蒔くべきです。
私は、目に見える戦いではなく、
目に見えない力との霊的な戦いの中で、
「敵を愛する」という方を選ぼう…。
「クリスチャンだから我慢する」という事とは
少し違う…。
私は「愛をもって悪に打ち勝つ」という主の法則を信じる。
今、この問題がどの様に終わるのか、
私には未来は分からない。
もしかしたら何十年先に「本当の解決」があるかもしれない。
今、目に見える現状だけに心を奪われてはいけない…。
私は… 今日も主を信じよう…。
主を信じるという事を選択しよう…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)