愛って優しさだけでなく「武器」【ローマ12:17-21】

2025年

17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

ローマ12:17-21

私は、昨日一つの選択を主に迫られました。

私がもつ、学校の問題。

私は「悪者」のように扱われています。

全校保護者に向けて、理事会に向けて、学校関係者に向けて

学校の一方的な主張で、

私を「悪」として問題視する発言が至る所で広められています。

私には、自分の思いや立場、意見を主張する機会もなく

一方的に力で押さえつけられている状態。

告訴・調停・民事・刑事という言葉まで発信しています。

先日、学校の行事があり

初めて会った保護者に「あ~あなた、今、学校に裁判かけられている人?」と言われました。

「主よ…私は間違った事をしていますか?

私は。まるでヨブのよう…。

全てを失い、友にまで攻められるヨブ。」

このように呟くような祈りが、数ヶ月続いていました。

いつまで続くんだろう…

いつまで私は権力や圧力に押さえつけられ、

悪者として存在させられるんだろう…。

そう祈りながらも、

私はこの関係を終わらせる方法を

心の奥底では分かっていました。

私にとって、私を悪だと押さえつける方々は「私の敵」なのです。

もし、私がその敵意に対して同じ方法でやり返したら、

私自身も「誰かの敵」になるのです。

悪を行なってくる敵に対して、私は悪で返してはいけない…。

敵に復讐しようとすると、

自分自身も「悪に飲み込まれた存在」になってしまうのです。

私は、自分の主張が間違っているとは思っていません。

保護者として正しい・良いと思う主張をしているのです。

しかし、自分が良いと正しいと思っている主張。

主の目には本当にそれが100%正しいかどうかは分かりません。

だから、私が敵を悪として見れば見るほど、

自分もまた「正義の顔をした敵」になる危険があるのです。

だから、私は敵に対して悪で返してはならない。

互いに悪で対立すれば、それは終わりがなく、

その悪は大きくなるばかり。

この世は主の世界。

主の世界を悪で満たしたらダメなのです。

この関係を断ち切る方法は一つしかないのです。

そう思うと、聖書って本当に正しい…と感じます。

今回のこの問題を通して本当にそう感じました。

この関係を断ち切るには「愛」しかないのです。

敵を愛しなさい。

これは本当に正しい…。

主の世界は、愛の世界だから。

愛は「やさしさ」だけではなく、

愛は、悪の連鎖を断ち切る為の「武器」です。

唯一の武器。

もし誰かが自分に悪を行ない「敵」と見なしたとしても

私はその人を「敵」としてはいけない…

悪に対して悪で返してはいけない…。

私たちは、愛という武器で断ち切って行かないといけない…。

ガラテヤ6:7にあるように

主の世界は「蒔いた種は、自分が刈り取る」のです。

だから、たとえ今、私が悪者にされても、それでそれでいい…

力で私を抑え込もうとする人がいても、

それはその人たちの「種」。

私たちは、この主の世界に「愛の種」を蒔くべきです。

私は、目に見える戦いではなく、

目に見えない力との霊的な戦いの中で、

「敵を愛する」という方を選ぼう…。

「クリスチャンだから我慢する」という事とは

少し違う…。

私は「愛をもって悪に打ち勝つ」という主の法則を信じる。

今、この問題がどの様に終わるのか、

私には未来は分からない。

もしかしたら何十年先に「本当の解決」があるかもしれない。

今、目に見える現状だけに心を奪われてはいけない…。

私は… 今日も主を信じよう…。

主を信じるという事を選択しよう…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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