平穏無事な毎日が良い?【ヤコブ1:2-4】

2025年

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

ヤコブ1:2-4

ある女性が帆船に乗り

大陸を横断する物語を見ました。

帆船ですから、エンジンがなく風の力だけで船が動くのです。

何日にも渡り横断するのです。

時には風が強すぎ、自分の目指す方位に船が向かわない事もあり

命の危険を感じる場面もありました。

いつ船が横転するかと気を抜けず、

寝れない日々を過ごすことも。

映像を見ている私でさえ、

怖さを感じました。

そしてやっと、目的地が近くなった所で

「無風地帯」に差し掛かったのです。

嵐で船が横転しそうだった時と比べ、

空は晴れ渡り、海は穏やか。

画像を見ている私は、

安心して船の状況を見る事ができます。

澄み渡った天気で、地平線が見えます。

そんな「安全」「安心」の風景に安堵を感じたのです。

しかし、映像に出てくる女性の表情は違いました。

そして「最も危険だ状態」だというのです。

帆で進む船にとって「風がない」ことは、

前に進めないということ。

風が二度と吹かなければ、その場に取り残され、

決して目的地にたどり着けないかもしれないというのです。

結果的には、数日の無風状態を過ごし、

目的地に辿り付くことができました。

…どこか、私たちの人生も、この帆船での旅と似ている気がします。

激動の時間を過ごすこともあれば、

平穏無事な日常もあります。

忙しさも痛みもなく、何の変化も刺激もない日々。

もしも、自分の人生に何の問題もなく

無風地帯のように、時間が止まったような状態が続いたら…?

平穏に見えるその時間が、

実は心を麻痺させていく「霊的な無風地帯」になると思います。

私たちは、何の問題もなく

「平穏で幸せ」だけの人生だと…

主を忘れるのです。

何も起こらない。何も動かない。

自分の内側のエネルギーも、

喜びも、使命感も感じられないまま…

ただ、時間が過ぎていく人生。

私たちは主を忘れ、主を呼ぶ事をしなくなります。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というように

人生の嵐の時間は、主を呼ぶのです。必死に。

しかし、嵐が過ぎ去ると、

時間と共に主を忘れるのです。

映像を見ながら、

風があるから前に進める帆船。

ある意味同じように、

試練は、単に私たちを苦しめる敵ではなく、

私たちの人生を目的地に近づけるための「風」なのかもしれません。

無風地帯に安住するよりも、

風に揺られながら前に進みたい…。

「試練」という嵐は、

私たちに恐怖を与え、心を縛ります。

でもそれは、自分でその風を耐えようとするからかもしれません。

嵐のような風に吹かれる時は、

それを信仰という帆で風を受ければ良いのかもしれない…。

私たちの人生も「風」がなければ

停滞し、前には進めない…。

私は、今向かって来る嵐に対して

どのように帆を立てるべきか、

「主よ、私はどう進めばいいでしょうか」と

主に問いかけながら過ごしてみよう。

風があるからこそ、前に進める。

嵐のような試練も、信仰という帆を広げて受け止めるなら、

それは私たちを目的地へと導く「恵みの風」になるはず。

風を恐れるのではなく、

その風に信仰の帆を立てて、前へ進もう…。

主とともに…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました