愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
ヤコブ1:19
今日の御言葉…
聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅く。
この御言葉を読む度に、
時には、ドキッとしたり、安心感を得たり…
心は、どこか静まり返ります…。
まるで慌ただしく波立っていた水面が、
ふと穏やかになるような感じ。
この短い一節の中に、
知恵と愛が込められている様に感じます。
多くの人は、自分の話を聞いて欲しいと思っていると思います。
…「聞くのに早く」というのは、
多分、単に良く聞きなさいというのではなく、
相手の言葉の奥にある思いや
言葉では表現していない、隠れた痛みや不安など
語られなかった言葉にまで
耳を傾けなさい…
「耳で聞く」というより
「心で聞く」という事なんだと思います。
また、人の声を心で聞く時、
その人の存在、まるごとを受け入れ、
愛そうとする姿勢が必要となると思います。
…「語るのに遅く」というのは、
私たちは、思いついた事を直ぐに口にしてしまう事があります。
しかし、私たちの口から出る言葉は、
人に力や慰めを与える事もありますが、
時には「刃」にもなり得るのです。
だからこそ「語るのに遅く」なのです。
言葉を口から出す前に、
心で主に祈る…。
この言葉は、目の前の人を生かす言葉だろうか…?
この言葉は、主に喜ばれる言葉だろうか?
語る前の、この一瞬の祈りは、
私たちの多くのものを守ってくれるように思います。
…「怒るのに遅く」というのは、
怒りとは、人間の感情何だという事がわかります。
「怒るな」とは書かず、
「怒るのに遅く」と書いている。
人間は怒る事が大いにあるという事を主は理解されている。
そして、怒りを表現しても良いという事です。
ただ「遅く」なのです。
20節には続けてこう書かれています。
「人の怒りは、神の義を実現するものではありません」
怒りは、心の中に潜んでいる
高ぶりや自己正当化を浮き彫りにすることがあります。
だからこそ、私たちは「怒ること」にも慎重であるべきなんだと思います。
怒りがこみ上げてくるときこそ、
立ち止まり、主の御顔を仰ぎ見れる者になりたい…。
「主よ、あなたはこの状況をどうご覧になっておられますか?」と。
まず、祈れるものになりたい…。
「聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅く。」
この御言葉は、ただ道徳的な教訓を教えているのではなく…
「主とともに歩む者としての心の姿勢」を教えてくれているのだと思います。
人の話をまず聞くこと。
言葉の奥にある思いを、心で聞く。
軽々しく自分の思いを語らず、
言葉を発する前には、主に聞き、言葉を慎む…
怒りは、感情のままに出すものではない…。
今日も私たちは、誰かの話を聞く機会があり、
語る言葉を選ぶ瞬間があり、
怒りの感情に出会うことがあるかもしれません。
でも、その一つひとつの場面が、
主の御前に歩む機会何だと思います。
今日の御言葉を、
心の中に静かに刻みつけて歩んでいきたい…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)