神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられれる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
イザヤ30:15
子どもが通う学校でPTA活動をしています。
そしてここ数年、
学校とPTA(を含む保護者)と対立しているのです。
学校とのやりとりは、
PTAの代表となっている私が中心です。
約一年経ちました。
余りにもひど過ぎる対応に…
色々な機関に相談しました。
区役所の無料相談や法務省の人権相談など。
「学校が本当に保護者にこのような対応をするなんて信じられない」
「弁護士を立てて戦った方が良い」と言われるのです。
「弁護士」と言われる状態…。
詳しく書く事は避けますが、
理不尽な対応、不条理な対応なのです。
この一年、私の心は凄くかき乱されました。
落ち込んだり、イライラしたり、腹立たしく思ったり、
悲しくなったり、結局はこの世の中は権力があるものが強いと思ったり、
権力者の圧力にトラウマまで…
自分の心が崩れて来たのを感じました。
世の中ってなんて不条理なんだ…
世の中は正義が勝つのではなく、権力者が勝つんだ…
自分の力の無さや能力のなさ。
そして様々な不条理を通して、
自分が凄くかき乱され、追い込まれたり。
権力に追い込まれている時は、
もうどの様に祈ったら良いのかが分からなくなりました。
何度も何度も、どのように祈ればいいんだろう。
と私の信仰はなんて根が浅かったんだろう…と感じました。
心がかき乱され、
理不尽・不条理な出来事に、
この一年で何度も自分の心に怒りが生じたのです。
怒りが生じるといつも思いました。
怒りを感じている自分の中に、主はいらっしゃらないのです。
私は怒りで主を追い出しているのかもしれません。
もしくは、信仰が揺れ動かされ、
主を不在状態にさせたため、怒りが私の中に入って来たのかもしれません。
どちらにしろ、自分の中に「怒り」が入ると
主が居られないと感じました。
…という事は、
常に心と魂を主に向け続けることが
「怒り」に支配されない方法なんだと思いました。
今日の御言葉からもわかります。
大切なのは「立ち返って静かにする」なのです。
私はまだ、PTA代表という立場は終わっておらず、
今もまだ権力に追い込まれています。
今、私は「有事」という時間を過ごしています。
一番、何度も思った事は
「平時」の時の信仰の在り方です。
「平時」の時の主との交わり。祈り。御言葉の蓄え。
これをもっと大切にするべきだったと
何度も感じました。
今の私は、精神的に追い込まれても、
命を狙われている訳ではありません。
命に関わるレベルの「有事」ではないのです。
でありながらも、凄く心がかき乱され、
どのように主に祈るのか分からなくなってしまう事が多くありました。
そんな自分の姿を見ながら、
これが「終末」だったらどうだろう…
私は今から「終末」に向けて準備をするべき。
今まで、人にこんなに追い込まれた経験はなかったにしろ、
終末はこんなものじゃない…はず。
今から備えよう‼
本当に備えないと大変。
終末は、信仰だけが自分を支えるものになるはず。
私は、今日も主を信じます…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)