主に用いられる人って?【ミカ6:8】

2025年

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

ミカ6:8

次男は高校2年生。

2年生の1学期までは「日本の大学に進学したい!」と模試を受けていました。

環境問題に興味があり、

「起業をして、兄が牧会する教会を建てたい‼」と言っていました。

しかし、去年の夏ごろから

「神学校に行きたい…主に仕える者になりたい…」と言い出し

「韓国の大学行こうかな…」と言っています。

そして最近は「主に用いられる人になりたい!」と祈っている様子。

私はその姿を見ながら

「主に用いられる人…ってどの様な人なんだろう?」と、改めて思ったのです。

聖書の中には「主に用いられた人」って沢山います。

ノア…アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ギデオン、サムエル、ダビデ…

もっともっといます。

この人たちの共通点はなんだろう?と思いました。

全ての人に共通して言える事…

そう考えた時「主と共に歩んだ人」という共通点があるように思いました。

どのような時にも、主と共に歩んだのです。

人生が上手くいっている時も、

孤独な時も、辛く悲しみの中に置かれた時も…

主を選び、主と共に人生を歩むことを選択したのです。

能力や才能があっても…

主と共に歩まない人は、

主に用いられない人もいるのです。

サウル、ソロモン、カイン、バラム、サムソン…

始めは主に用いられていたとしても、

人生の途中から用いられなくなっている人もいます。

「主を愛する」という問題とは別なような気がします。

「主を愛する」という事は素晴らしい事。

しかし「主を愛する」という事と「主に用いられる」という事は別。

もちろん、主に用いられる人は、

聖書を見ると、主を愛しています。

しかし、それ以外にも大切な事があるように思います。

主を愛し、主を絶対的に信頼し、従順な人。

自分の力や才能を発揮するという事より、

自分の弱さを認め主に拠り頼める謙遜な人。

主は、試練や訓練を通して人を砕かれ、忍耐できる人。

自分の成功や名誉のためではなく、

主の栄光を表すことを第一に求めている人。

自分の力や知恵の判断ではなく、聖霊の導きによって判断。

…「主に用いられる人」は、

主との歩みを最優先にする人。

「主と共に歩む」とは、

単に、主を信じるというだけでなく、

日々の生活の中で主の御心を求め続け、信頼し従うという選択をする!

その為には、

御言葉を読むこと。御言葉に照らし合わせ生きていく事。

祈り、主と交わりの時間を持つ。

そして礼拝し主を崇める…

主と共に歩むとは、

実際の行動や心の姿勢に表れるんだと思います。

単なる信仰で終わるのではなく…

主に用いられる人生。

主と共に歩む人生を生きたいです…‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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