身勝手な信仰④【ゼカリヤ4:6b】

2025年

『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。

ゼカリヤ4:6b

先日、働いている病院で退院する方がいらっしゃいました。

そのご家族と患者さんが、

病院を出る前に主治医の先生に

「先生に出会えて本当に良かったです。

病気になったと分かった時、先生を思い出しました。先生なら直して下さると思って…」と凄く感謝されていました。

その姿を見ながら…

考えさせられました。

私たちは、何か自分に問題が生じた時、驚き、不安になり、

一刻も早く解決するように対策を考えます。

この患者さんも、自分が病になったと知って

対策を考えた結果「あの先生なら直して下さる!」と思い

この病院を受診され手術を受けられたのです。

私の中にもこのような思考が、大いにあります。

解決方法を調べ、考えるのです。

一番効果的な方法、即効性のある方法、失敗しない方法…

それは問題が生じた時だけでなく、

自分の願いが生じた時も同じかもしれません。

自分の願いを叶える為にどうしたらいいのかを考えるのです。

例えば、私はずっと引越しをしたいと思っています。

そして、

冷蔵庫とオーブンレンジを、そろそろ買い替えないといけません。

引越しをするなら、新しい本棚も欲しいし

机も欲しい。

食器棚も古いので買い換えたい…(終わりのない欲望がある)

そこで思うのが

「引越しするにはお金がいる…」という事。

そして主に祈るのです。

「主よ。今住んでいる所の水回りに問題があります。

故障する前に…引越しをしたいです!

引越しをする経済的力がありません。助けて下さい」

と「引越しをする為のお金」を祈るのです。

…これって可笑しい…

簡単に言えば、主がお金を下さったら、

引越しは自分でするつもりなのです。

あの学校に合格すれば、自分の夢を叶えれると考える。

お金があれば、出来ると考える。

助けてくれる人がいれば、出来ると考える。

良い医師に出会えば、この病は治ると考える。

長血を患った女性は、良い医師に出会えなかった。

イエスさまの服に触れただけで癒された…。

エリコの城を攻める為に、

強力な武器や大勢の軍人が必要なのではなく、

主を信じる者が7周城を回り、ときの声をあげ、城は崩れたのです。

私は、自分の問題や目的を成す為に、

「自分が考える条件」を主に求めている…💦

主は、私が考える方法とは違う方法を考えられているだろうに…。

主に願いながら、方法まで指定をしてるのです。

これって可笑しい…

祈り方がおかしい…。

どこまでも主人公は私。

私の願い。私の方法。

身勝手な信仰です。

私の人生の主人公は主であるべき…

しかし、実際は私が主人公なのです。

自分の思い、自分の考え、自分の方法を主に訴えているのです。

そして主から、自分が願う答えを得れないと

主の不在感を感じてしまう…

身勝手な信仰者…

はぁ…悔い改めよう…💦

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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