問題に起きた時に見えるもの【ルカ6:45】

2025年

良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。

ルカ6:45

先週の土曜日、車で事故を起こしてしまいました。

私の不注意による単独事故。

幸い、通行人もいなく、

運転者の私と後部座席に座っていた次男も無傷。

ちょっと車を当てた事故ではなく…大きな事故💦

現場に来た警察官が

「強度のある車だから良かったけど、

車によったら大けがでは済まなかったよ…」と言われました。

そして、その車は廃車。

怪我から守られたのは本当に感謝…

でも、凄く凄く悲しくなりました。

父親から貰った最後の車だからです。

凄く大切に乗っていました。

子どもにも「おじいちゃんがくれた最後の車だから、

オンマにとってもこれが最後の車。

傷付けないように扉を開ける時も気を付けて!」と何度も言っていました。

廃車になると聞いて、

もう一度、父親を亡くした気持ちになったのです。

そんな悲し気持ちが心に芽生えると、

どんどんと悲しさが増していき、

今回、車も父親も失くしたかのような気持ちに…。

それを夫に言うと…

「は?? それっておかしくない?? 守られた感謝はないの?」と言われました。

夫はいつもストレート。

でも「あれ?私の感情間違ってない?」と思い直せたのです。

警察官に「大怪我だけでは済まなかった可能性がある」と言われた事故。

でも、私の運転で怪我をする人がいなかった事。

次男に怪我を負わせなかった事。

私も怪我をしなかった事。

ここに焦点を当てないといけないのに…。

自然と芽生える感情ではなく、

感謝に焦点を当てて見ようと思いました。

まず思い出したのは、

結婚してから今まで、父親が何度も

私に手放す車を譲ってくれていた事。

私は4人兄弟なのですが、

兄弟の中で私の家族が一番、経済力がない。

父親が私だけに車を譲ることを、他の兄弟は一言も文句を言わなかった。

父親の選択を当たり前のように、思っていてくれてる兄弟。

そんな兄弟が与えられている事に感謝。

そして、父親の最後の車に3年間乗れた事も感謝。

事故を起こした時、

次男を駅まで迎えに行った帰りだったのですが、

現場検証をする際、ガタガタと震える私を次男が肩を抱き

「オンマ。大丈夫。大丈夫。誰も怪我しなかった。

神さま、感謝します。守って下さって本当に感謝します。」と何度も言ってくれた事。

あの時、次男が「神さま、感謝します!」と

何度も言わなかったら、

あの瞬間、主に感謝はおろか、主を思い出す事ができただろうか…?

次男に怖い思いをさせてしまいましたが、

一緒に居てくれ「主に感謝」と祈ってくれた事に感謝。

それと、1つ自分にとって大きな感謝というか

主からの教えを感じました。

この事故は、自分の不注意で引き起こしてしまったのですが、

私にとっては大きな出来事、大きな問題。

その様な状況に立たされた時、

私は「主への感謝」や「事故を起こしてしまった反省」より

自己憐憫が出て来たのです。

車が「父親の形見」だとしても、

それを失くした事により、父親をもう一度亡くした訳ではない。

大きなストレスがかかった時、

それを受け取る力がなく、自己憐憫という形で

ストレスを回避していたんだと思います。

大きな問題やストレス、困難に見舞われた時、

自分の中にある「本性」というか

「気性」「気質」というか「本能」というか…

本質的な部分…

そのような物が、浮き彫りにされるんだと思いました。

私は、父親を引き合いに、誰にも責められないように

自分を守ったんだと思います。

廃車と決まった時に

兄は「残念だろうけど、諦めろ…」と言ってくれました。

その言葉に、私が持つ、

父親や車に対して思いを汲んでくれていると感じます。

にも拘らず、

私はもっと自分を守ったのです。

そう分かった時、自分の中に自己憐憫というものがある。

普段、そのような思考が見えなかったとしても

自分の中に潜み、大きな問題が起きた時に

ここぞとばかりに出て来たんだと思います。

はぁ…💦

今回の事故…

今日の御言葉…

人の口は、心に満ちているものを話すからです。

私の心に満ちているものが外に出てきたのです…💦

私はもっと、主と交わりを持ち、

もっと主に祈っていこう…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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