いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:16-18
今日は主に凄く教えられた一日でした。
今日は仕事で夜勤明け。
帰り道、YouTubeでいつも賛美を聞いています。
歩きながらYouTubeを開けると、
韓国の神学校時代の恩師(今は教授ではなく大きな教会の担任牧師)の
ショートメッセージが上がってきました。
うわ~久しぶり…と思いメッセージを聞きました。
このような内容でした。
「ある人が、新築で家を建て、大きな喜びに包まれていたんだけど、
ふと、あれ?この階にもトイレを作れば良かった…
ちょっと残念💦と思ったそうです。
すると、段々とその “ちょっと残念” という思いが大きくなり
喜びで満たされていたはずが、この新築…失敗したんじゃない?
という思いに変わって来た」という話をされていました。
「新築という感謝がなくなり、残念だという心残りは、失敗として残った」
「すっごく感謝な事があっても、
残念だという思いが1つでも生じると…主の恵みは簡単になくなる」
「残念だ、物足りない、不便、惜しい…このような感情が生じた時
私たちは霊的に敏感にならないとダメ」
という内容でした。
僅か1分半のメッセージ。
本当に驚き、ボロボロと泣いてしまいました。
主が私に語られたんだと思います。
私は、事故を起こしてしまったにも拘らず、
けが人が居なかったのです。
亡くしたのは、父親から貰った車だけ。
事故を起こして10日程経つのですが、
私の中に「車を失くしたこと」への残念さが心にずっと残っていました。
まさしく、
新築を建てた人の様です。
父親から貰った車と、次男や通行人、私の命では、
遥かに人の命が大切。
主は、最も大切なものを守って下さったのです。
しかし、私はもっとも大切で、もっとも感謝するべき事より、
失くしてしまった車に対し、残念な思いを持っているのです。
だから…
私は、この小さな残念さにより、心からの感謝を主に捧げれていない…
という事に気付いたのです。
本当に、車への執着(もともと車が好きな訳ではなく、思い出の車)が
主の恵み、祝福、御業を見えなくしていたのです。
これは、ある意味、偶像…
このショートメッセージで、気付かされたのです。
帰り道…
大雨だからか、人通りも少なく…
YouTubeを賛美に切り替え、
大声で賛美しながら泣きながら帰って来ました。
主に悔い改め、今まで持っていた車に対する心残りを
手放します。と祈りました。
心が本当にスッキリしました。
人間って…私って…凄く自分勝手です。
大きな恵みを頂きながらも、何かしら不満を言う。
常に満足しない。
そして小さな不満は、大きな恵みさえかき消す力がある…。
そして、主はこんな自分勝手な私に
それを優しく気付かせて下さった…(泣)
私って本当にまだまだ…
私は主を悲しませている様に思います。
なかなか成長しない私。
でも今日は、凄く学びを得れました。
もしかしたら、このタイミングで車を失くすのが
私にとって大きな祝福かもしれません。
私は何度となく「この車が私の最後の車」と言っていました。
今、このタイミングで手放さないと、
もっと取り返しのつかない事が起こるかもしれない…
これは分かりませんが…
私は、主を信じます。
私は、主を愛します。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)