心を定める必要性【ヨブ31:1】

2025年

私は私の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。

ヨブ31:1

今朝、起きた時に思い出した御言葉があります。

「私は、私の目と契約を結んだ」というヨブの言葉。

自分で自分の目と契約を結ぶ…

ん?と思うけれど、続きの「どうしておとめに目を留めよう。」という文章から、

罪は、目から誘惑され始まる…

という意味なんだと思います。

ヨブな、罪から自分を話す為に決めたのです。

自分の目と契約を結んだのです。

目に入った時点で、見続けないという決心をしたのです。

ヨブは自分は罪に負けてしまう存在だと分かっていたのです。

目にしてから… 罪だと気付いてから…

「どうしようか…」と考えるのは遅いのです。

罪は魅力的なのです。

自分をワクワクさせ、楽しませてくれるものが多いのです。

これは、男性が女性に対してだけでななく。

今日の御言葉から、

自分の目、つまり自分の関心や目の向けどころを

どのように決めるかは私たち次第だという事を知る事ができます。

「私たちは、罪には負けてしまう存在だ」と

常に記憶する必要があると思います。

ヨブ記の1章1節を読むと、聖書はヨブをこのように紹介しています。

「この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」

悪から遠ざかっていたのです。

悪とは離れた生活をしていたのではなく、

自分の意思で遠ざかっていたのです。

ヨブも自分が罪に負けると十分に分かっていたのです。

だから、自分の目と契約をし「自分の心を定めて」生活をしていたのです。

これは「罪」の問題だけでなはく

日常生活においても「自分の心を定める」必要があると思います。

今の世の中には、スマホがあり、

制限なしで色々なコンテンツを見る事が出来ます。

一度、見始めると、終わりがありません。

少しだけ…と思っていても、

凄く沢山の時間が過ぎ去った経験があると思います。

私たち、大人であってもこのように自制が効かないのに…

子どもたちはもっとだと思います。

一度、SNSを開けると、止まらないのです。

だから、開く前から自分の心を定める必要があるのです。

私は、SNSを賛美を聞く事と、調べもの以外使わないようにする…と

心に定めていました。

でも、今日の御言葉を読んで

「定める」という思いは甘いんだと感じました。

ヨブは「契約を結ぶ」という決断をしています。

SNSは一瞬の楽しみを与えてくるかもしれません。

しかしそれは、自分の人生の時間を費やすべき事柄なんだろうか…

自分の人生という時間を燃やすに値するものなんだろうか。

そう考えた時、

SNSは大きな罠にもなりうります。

主が与えらえられた時間を、自分の人生や信仰にプラスにならない事に

多く費やしてしまっているのです。

SNSだけでなく、

沢山の誘惑があります。ギャンブルや、お金、食べ物、異性…

誘惑を受ける前に、心を定める必要性。

ヨブのように、契約を絶対守るという固い意志が

普段の生活から必要なんだと思います。

普段の生活を思い起こし、敏感になろう…

軽く考えている言動が、実は主と関係を遠ざける罠の可能性がある…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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