主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。ヨナ書1:1-3
今日は新共同訳からのヨナ書の部分です。
私は普段、新改訳を読んでいます。
今日、電車に乗りながら韓国語の聖書を音読で聞いていた時、
ヨナ書の冒頭部分で「え??」と思ったのです。
ヨナは主に「ニネベに行きなさい」と言われました。
しかし、それに従いたくなかったヨナ。
韓国語の聖書には
「丁度その時、タルシシュ行きの船がみつかった」と書いてあるようです。
「え… ‟丁度その時” みつけたんだ~」と思いました。
慌てて、新改訳を読んでみると
「彼は、タルシシュ行きの船を見つけ…」となっていました。
ですので、他の訳を調べ、新共同訳では
「折よくタルシシュ行きの船が見つかった」と書かれています。
新共同訳が韓国語の聖書と似ているなあ~と思ったのです。
私たちも、主に「こうしなさい」と示しを受けたり、
祈りながら何となく「これが御心なんだろうな…」と感じたり。
または、聖書を通して「こっちが御心なんだ!」と感じたりする事があると思います。
しかし、主の御心は、時には従いなくない選択の時があります。
自分の希望としては…これじゃない…という時。
もしくは、御心だと感じている事に
本当に従いたくない時もあります。
そんな時「御心はこっちなんだろうけど… なんだか嫌だな…」
と思った時、
「丁度その時」「折よく」
違う道が開けたり、違う道を目にする事があります。
その絶妙なタイミングに
どことなく「こっちが御心じゃないだろうか」と
都合よい解釈が出来る方を選んだり、
「ラッキー」とばかりに、先に感じた御心から目を背けたり…。
御心に従うという、サタンからすれば
本当に辞めて欲しい事柄から、
私たちを遠ざけようと「偶然を装って」「絶妙なタイミングで」
私たちの目や心を、奪うのです。
もともと心の根底に、御心だと感じている選択は
「ちょっと嫌だな…」と思っていたら、
本当にいとも簡単に、私たちはサタンの誘導にまけてしまうのです。
私は本当に直ぐに負けてしまいます。
また、気を付けないといけないのは、
何の問題もなく、凄くスムーズに道が開けていく時もです!
何かに向かって歩んでいる時、
凄くスムーズに道が開かれていく事があります。
「うわ~ 主の山に備えあり!」と感じる時。
勿論、その可能性もあります。
しかし、そうではない事もあるのです。
主の御心を盲目にさせる罠かもしれません。
だから…
私たちは常に祈る必要がある…
「主よ。この道でいいのでしょうか」
「私は主の御心の道を選べているでしょうか」
「私は自分の欲に誘導されていないでしょうか」
常に祈り、主に伺いながら人生を歩んでいきたいです‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)