絶妙なタイミングで道が開ける時【ヨナ書1:1-3】

2025年
主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。
「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」 
しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
ヨナ書1:1-3

今日は新共同訳からのヨナ書の部分です。

私は普段、新改訳を読んでいます。

今日、電車に乗りながら韓国語の聖書を音読で聞いていた時、

ヨナ書の冒頭部分で「え??」と思ったのです。

ヨナは主に「ニネベに行きなさい」と言われました。

しかし、それに従いたくなかったヨナ。

韓国語の聖書には

「丁度その時、タルシシュ行きの船がみつかった」と書いてあるようです。

「え… ‟丁度その時” みつけたんだ~」と思いました。

慌てて、新改訳を読んでみると

「彼は、タルシシュ行きの船を見つけ…」となっていました。

ですので、他の訳を調べ、新共同訳では

折よくタルシシュ行きの船が見つかった」と書かれています。

新共同訳が韓国語の聖書と似ているなあ~と思ったのです。

私たちも、主に「こうしなさい」と示しを受けたり、

祈りながら何となく「これが御心なんだろうな…」と感じたり。

または、聖書を通して「こっちが御心なんだ!」と感じたりする事があると思います。

しかし、主の御心は、時には従いなくない選択の時があります。

自分の希望としては…これじゃない…という時。

もしくは、御心だと感じている事に

本当に従いたくない時もあります。

そんな時「御心はこっちなんだろうけど… なんだか嫌だな…」

と思った時、

「丁度その時」「折よく」

違う道が開けたり、違う道を目にする事があります。

その絶妙なタイミングに

どことなく「こっちが御心じゃないだろうか」と

都合よい解釈が出来る方を選んだり、

「ラッキー」とばかりに、先に感じた御心から目を背けたり…。

御心に従うという、サタンからすれば

本当に辞めて欲しい事柄から、

私たちを遠ざけようと「偶然を装って」「絶妙なタイミングで」

私たちの目や心を、奪うのです。

もともと心の根底に、御心だと感じている選択は

「ちょっと嫌だな…」と思っていたら、

本当にいとも簡単に、私たちはサタンの誘導にまけてしまうのです。

私は本当に直ぐに負けてしまいます。

また、気を付けないといけないのは、

何の問題もなく、凄くスムーズに道が開けていく時もです!

何かに向かって歩んでいる時、

凄くスムーズに道が開かれていく事があります。

「うわ~ 主の山に備えあり!」と感じる時。

勿論、その可能性もあります。

しかし、そうではない事もあるのです。

主の御心を盲目にさせる罠かもしれません。

だから…

私たちは常に祈る必要がある…

「主よ。この道でいいのでしょうか」

「私は主の御心の道を選べているでしょうか」

「私は自分の欲に誘導されていないでしょうか」

常に祈り、主に伺いながら人生を歩んでいきたいです‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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