独りよがりな信仰【箴言3:5-6】

2025年

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴言3:5-6

先日、仕事で病院に行った時、

社会人1年生の看護師さんと、オムツの交換・体位変更で病室を周りました。

オムツを交換するという事は、寝たきりの人なのです。

そしてずっと同じ体制で寝ていたら床ずれを起こすので、

身体の下に入れているクッションを位置を変えたりします。

Aさんから順番にまわりました。

介護の必要なすべての人を対処を終えて。

ナースステーションに変えると

先輩看護師さんが、私と一緒に回った看護師1年生に

Aさんの様子に変化がなかったのか?

と聞きました。

私たちが部屋に入ってそれから他の人の部屋を回っている間に

少し状態が不安定になったようです。

先輩看護師さんが「Aさんの部屋に入って何をチェックした?変化は見れなかった?」と聞かれ

1年生は緊張のあまりに、何も答えれませんでした。

私にとっては1年生は自分の長男と同級生位の年頃。

とっさに「いつもと変わりありませんでしたよ。便も尿もいつ戻りに見えました。

体位は変えています」と答えたのです。

すると先輩看護師さんが

「ごめんなさい。1年生に聞いています」と言われました。

私は、あ…💦 私がでしゃばってしまった💦と思ったのです。

そして、先輩看護師さんと1年生の話が終わってから、

1年生がいない時に先輩看護師さんに

「すみません!私がでしゃばってしまって!」と謝りました。

先輩は「LBさんが1年生を助けようとしたのは理解できます。

でも1年生の為にはならないので、ごめんなさいね。」と言われました。

…1年生は、いつもドキドキしています。

何かを聞かれると委縮してしまう傾向があり…頭が真っ白になってる状態。

だから、上手く話せない1年生を助けてあげたい…という思いが働いたのです。

しかし、それは結局は1年生の為にはならない。

ドキドキして上手く話せなかったとしても、

それを乗り越え、習得していかないといけない事が沢山ある…。

私は良かれと思ってしたことが、

本当は良くない事だったのです。

私が発言をして、止められた瞬間に

自分が失敗したこと。

自分がでしゃばったこと。

自分の立場。

など、気が付いたのです。

帰り道、今回のこの出来事を黙想しました。

私はこのような勘違いを沢山しているかもしれません。

勝手に良かれと思った事が、相手にとって実はプラスになってないこと。

主に喜ばれると思ってしていた事。

主の御心だと思ってしていた事。

実は、自分の独りよがりかもしれない…

私たちの信仰は、過程を通して作られます。

主がどういったお方なのか。

どのような価値観をお持ちなのか。

時には独りよがりな失敗をしながら、

主を知っていく。という事が大切。

主に「私は、こうしようと思います」

「これが主が私に望まれている事だと、私は思います」

「主の御心を教えて下さい…」

と祈りつつ、信仰を育てていかないといけない。

独りよがりの信仰を推し進めたら、

主は凄く残念に思われているんじゃないか?と思いました。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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