さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、
ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町に入り、イエスのために準備した。ルカ9:51-52
1/18のブログにも書いたのですが、
最近、イエスさまって凄いな…と改めて感じていました。
イエスさまが、子ロバに乗ってエルサレムに入城した時
人々は「ホサナ」と叫び迎えていました。
しかし、その1週間後、
イエスさまが十字架を背負い、ゴルゴダの丘まで歩まれた時、
人々は、イエスさまをあざけったり侮辱したのです。
人間の根っこのない思考力、判断力、信仰心…
人間の醜い部分、欲にまみれた部分などを感じながらも
最後まで、死に至るまで、天の父の御心に従順されたのです。
私なら「主よ。こんな人の為に私は死ぬのですか??」と訴えそうです。
その様な人間の姿に哀れみを感じる事が出来るイエスさま…
そんなイエスさまの姿をここ数日、ずっと考えさせられていました。
今日、聖書を読んで心に残った言葉があります。
イエスは、エルサレムに行こうとして
「御顔をまっすぐ向けられ」という言葉。
御顔をまっすぐ向けられたというのは、
決心されたのです。
「揺るがない決心」を意味します。
…決心するという事は、迷われたんだと思います。
どうしようか…とか。
嫌だな避けたいな…と、一瞬であったとしても、
考えたから「決心」されたのです。
この「顔をあげられた」という言葉から
私たちが、御心は分かっていても、
従う事が難しい…というような「理想と現実」で悩む、迷う、苦しむ…
という事を、イエスさまも理解されているという事が分かります。
そして、イエスさまはこれから非常に苦しむと分かっていながらも
決心し、揺れることなく、従う道を選ばれたという事です。
イエスさまが、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられたように、
私も、顔をまっすぐ主に向けて歩みたい…
迷った時、苦しく感じた時、悲しさの中に置かれた時、
主がエルサレムに顔を向けられたように、
私も主に顔を向けたい…‼
顔を向けるという事を選択していきたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)