入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。
創世記7:16
今日、読んだ聖書の箇所で、心に残った聖句が今日の御言葉です。
ノアの箱舟の話。
主はモーセに、箱舟を造るように言われました。
舟の大きさや、どのような素材を使うか。
また作り方などを細かく教えられたのです。
そしてノアは長い年月をかけ作り続けたのです。
そしてついに完成した時、
ノアに、動物とあなたの全家族が入るように言われました。
そしてノアや主が命じられたとおりに行い、
最後に、主が戸を閉められたのです。
わざわざ、「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」と記録されています。
意味があるんだと思います。
ノアの子どもが生まれた時が500歳。(5:32)
箱舟に入ったのが600歳です。(7:6)
本当に長い時間、主に従ったのです。
しかし、最後の一番重要な、箱舟の中と外の区別を
主がされたのです。
人間の人生はこのようなものなのかもしれません。
主と共に人生を歩み、一番大切な部分は主の領域という意味なのかも。
このノアの場合、
最後の戸を閉めるというのはとても大切なこと。
主が舟の中と外を区別されたのです。
舟の外からの水の侵入から守るだけでなく、
雨が降り続け、危険を感じた人々がこの箱舟に助けを求めたかもしれません。
何にしろ、舟の中と外とを区別し、中のものを守ったのです。
私たちの人生にもこのような介入があるように思います。
主と共に人生を歩みながら、
何となく急に道が閉ざされたように感じる時…
今まで問題なく事が運んでいたのに、急に上手くいかなくなった時。
反対に、今まで沢山の努力をしていても
上手くいかなかったものが、急に事が上手く運んだり…
主が戸を閉ざされたのかもしれません…。
また、どんなに頑張っても希望する大学に入れなかったり、
試験に合格できなかったり。
思うような異性に出会えなかったり、
仕事で成果がでなかったり…
主が戸を閉ざされているのかもしれません。
箱舟も、全てが完成した時に、
主は戸を閉められました。
そしてその戸は、主の時がくるまで閉ざされたままなのです。
戸が開かない、道が開けないのは、
まだ「主の時」がまだ来ていないんだと思います。
私たちは待つ事が苦手です。
直ぐに「いつ」答えられるのかが気になります。
願った時に直ぐに叶えられる事を望んでしまうのです。
「主の時」というのは本当に私たちには分かりません。
しかし一つ分かる事は、
主が戸を閉められるのは「私たちを守るため」だということです。
戸を閉められたと感じた時、
「主が閉められたんだ」と思い、
先取りして、主の守りに感謝出来るようになりたいです…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)