こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。エペソ3:17-19
年末に、お笑いグランプリのM-1を見ようと録画していたのに、
決勝戦だけ録画出来ていませんでした。
残念過ぎて、スマホでYouTubeで検索。
それ以降、YouTubeを開くと、M-1に出いてた「令和ロマン」が上がってきます。
令和ロマンのコンビのくるま君とけむり君。
けむり君のお父さんは、大企業の副社長でお金持ちだそうです。
動画では、くるま君がこんな話をしていました。
コンビニに行って態度の悪い店員に会ったとしても、
けむりはそんなに腹を立てない。
嫌な気持ちになったとしても、普通の人が感じる思いとは全然違う。
お金持ちだから心に余裕がある。
誰もけむりの魂に傷をつける事はできないんですよ~。
と言っていました。
その話を聞いていた人が「お金持ちって、
そんなことまで違うんですね~(笑) 凄いですね~(笑)」と話していました。
それを見て、
何となく分かる気がするな…と思いました。
私は、自分が何か思い通りに事が運んでいる時は、
心が少し寛大になります。
しかし、やることなすこと上手くいかない時、
イライラとするのです。
多分、多くの人が同じではないでしょうか。
人間の特性なのかもしれません。
そう言えば、経済的に苦しい時期って、私は太ります。
何かと食べようとしている気がします。
そして少し余裕がある時は、食べなくても、
多少お腹が減っていても、何となく余裕があるように思います。
そんな事を考えながら、
持つ事で心の余裕が生じるという事が「人間あるある」なのなら…
私たちが人を赦せないのは、
自分が満たされていないからなんだと思います。
主の愛に満たされ、
自分の罪を主が赦して下さったという事を
しっかり感じていたとしたら、
私たちは満たされた状態だと言えると思います。
主の愛と許しが私を満たしていたとしたら、
私たちは、もっと敵を愛することができるのではないか…?
自分を傷つけた人を赦せないのは、
まず、自分自身が
主に赦されたという事、
愛されているという事を、
もっと知る必要があるのかもしれません。
隣人を愛することが出来ない。
人を赦す事が出来ない…
自分という人間は…と悩む前に、
まず、自分自身が、自分の罪の大きさを認識し、
赦され愛されているという事を教えて下さい…と祈るのが先かもしれません。
今日も、主の愛を感じる一日となりますように‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)