乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。ピリピ4:11-13
先日、学校の事で昔のA理事に会いに行きました。
Aさんは、事業が大きく成功している方です。
学校の状況を話し、協力と助言を貰う為に会いに行ったのです。
色々と話す中で、
A「ところで息子さんは何年生?」
私「高2です」
A「大学はどうするの?何を目指してるの?」
私「韓国の大学に行こうと思っているようです。学部は神学部です」
A「え、神学部って?」
私「キリスト教の牧師になりたいようです。長男も韓国の大学で神学部にいます」
A「え、そうなんだ。それも大切な仕事だよね」と言われました。
そして長く話す中で
A「ごめんね。私は神を信じていないけれど、
信じなくても私のように成功する人は沢山いるんだよ」
と言われました。
そして
A「一生懸命生きていたら、神さまは助けてくれると思う」と言われたのです。
その席には、私と理事以外に数名同席しており、
学校についての話合いの場でしたので、
それ以上そのことについて私は理事に話しをしなかったのですが、
帰りの道中に考えさせられました。
クリスチャンが、
どんなに祈っても願いが叶わない事があります。
反対に、それ程祈っていなくても
上手く事が進む事もあるのです。
もっと言えば、主を信じていない人でも、
世間では「成功」と認められる人はいるのです。
クリスチャンであっても病にかかる人もいれば、
ノンクリで不健康な生活を送っていても、健康な人もいるのです。
…という事は、
主を信じたら、全てが上手くいき、健康が約束され生きていける訳ではない。
信仰とは別問題…
…という事は、
主の最大の関心事はなんだろう…
私たちの成功でもなく、健康でもない。
お金持ちになる事でも、良い大学、良い企業に就職することでもない。
主の最大の関心事…
多分…
私がどの様な状態であったとしても、
貧しくても、お金持ちであっても、
病であっても、健康であっても、
失敗ばかりの人生であっても、成功していても、
孤独であっても、傷だらけであっても、
どのような状態であるかが一番の関心事ではない…
主の一番の関心事は、
今日も神の子どもとして歩んでいるかどうか。
神の子どもとされ、それに私たちが満足しているかどうか。
状況に心奪われず、
心を主に向けれるかどうか…
ここに重きを置かれているんだと思います…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)