彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。
ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』ルカ20:12-13
今日の御言葉は「悪い農夫のたとえ」です。
ぶどう園の主人が、収穫の分け前を貰う為に、遣いを送りました。
しかし、農夫たちはその遣いを袋叩きにして送り返したのです。
主人は、2人目、3人目と遣いを送りましたが、
3人とも同じ目に遭ったのです。
そして、主人は自分の子どもを送ったのです。
この子なら敬ってくれるだろう…と思って。
しかし農夫たちは、主人の息子を見て
「殺せば財産は自分たちのものになる」と思い、
最悪な結果になったのです。
初めてこの話を読んだ時、
どうして主人はこんなに愚かな人なんだろう…と思いました。
私なら、1人目が袋叩きに遭ったら、
その場で農夫たちを解雇し、罰を与えると思います。
始めの契約に反するだけでなく、暴力事件まで犯しているからです。
裁判をしたら、100%主人が勝つからです。
しかし、裁判をすることなく、2人目3人目を送り、
挙句の果て自分の息子まで殺されたのです。
どうして…自分の息子を送るなんて選択をしたんだろう??
この主人はどうしたらこんな選択を出来るのだろう…?と思いました。
今日、この個所を読んで心に残ったのは、
13節の「どうしたものか」という言葉です。
3人も負傷を負って、帰ってきているのです。
この場に及んで「どうしたものか…」って呑気じゃないですか?
何か迷う必要はないのです。
法律通りに対処すれば済む話です。
しかし、主人は「どうしたらいいのか」「どうしよう…」と迷っているのです。
もし、私がこの主人だとして…、
どのような場合、この主人の様な選択をするだろうか??
もし、自分の子ども…
長男がいる所に次男を送った場合…
次男は当たり前に貰うものを貰う事が出来ず、
怪我をして帰って来た…
私は次男の姿を見て「どうして??」と思うと思います。
そして次男から詳細を聞き、長男に連絡をするでしょう。
しかし、この時代ですから連絡網がありません。
もしかしたら「長男に何かあったのかもしれない」
「次男がとてつもなく酷い事を長男に言ったのかもしれない…」
と考えると思います。
だって、長男が自分の弟をそんな目に遭わすはずがないから…。
そしたら、(私に三男はいませんが)私は三男を送るかもしれません。
「お兄ちゃんに失礼な事を言ったらダメだよ」と釘をさして。
三男が次男と同じように帰ってきたら…
私は四男を送るだろうか?
わかりません…
しかし、ここで分かる事は、
私は長男を凄く信頼しているから、三男を送ったのです。
次男との間に何かトラブルがあったかもしれない。
もしかしたら、長男が凄く大きなストレスの中にあって
間違った事をしたかもしれない…でも後悔してるだろう…
と信じているからです
そして何よりも、私は長男を愛しているから疑わないのです。
しかし、私の信頼と愛は、三男(2人目の負傷者)までかもしれません…
…この話は例え話なのです。
農夫はイスラエルと司る指導者たちで、
遣いは預言者たちの事です。
主は預言者を遣わし、民がご自分の方へと誘導されたのです。
しかし、その予言者を真っ先に迫害したのは、
イスラエルの指導者。
主は忍耐深い方。
指導者たちが預言者を拒んでも、怒ったり罰を与えず、
続けて預言者を送られたのです。
神は愛する息子を送られました。
これはイエスキリストです。
そう分かって読んでみると、私たちはなんて罪深いんだろう…と
気が付きます。
これが私たちの姿なのです。
私が「そんなの、法律通りにすればいい!」と思うという事は、
私には、農夫に対して愛も信頼ない状態なのです。
主人が、3回も農夫たちに裏切られながらも
最後に自分の息子を送るなんて…
どれ程主は、私たちを愛し、信じ、主へ応答すると
信じて下さっているんだろう…と思いました。
主は、今日の私の姿を見てどう思われているんだろう。
主が望まれている姿ではないはず…
無意識にも主を沢山傷付けているはず。
主の語りかけにも、全く気が付かず、
好き勝手な解釈をし、勝手に傷つき、文句を言ってるはず…。
主は今日の私の姿を見て、
「どうしたものか…」と
私がどうすれば、主を見上げるか、
どうすれば主を思い出すか。
どうすれば、主との時間を大切にするだろうか…
と考えられている様な気がしました…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)