その時刻が来て、イエスは席に着かれ、使徒たちも一緒に座った。
イエスは彼らに言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。
あなたがたに言います。過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」
そしてイエスは杯を取り、感謝の祈りをささげてから言われた。「これを取り、互いの間で分けて飲みなさい。
あなたがたに言います。今から神の国が来る時まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、決してありません。」
それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。
ルカ22:14-20
今日、読んだ聖書の箇所です。
イエスさまが十字架にかかる前に、聖餐式をした時の話です。
「その時刻が来て…」という文字にドキッとしました。
「その時」が来た…書かれず、
「その時刻」が来た…と書かれているのです。
何となく「その時」だったら、色々な条件が重なって「その時がきた」と感じるのですが、
「時刻」は、何時何分という意味のように感じます。
そう感じたら、
主の十字架の死は、沢山の色々な要因が重なり合って
十字架の死の「時」が来たのではなく、
始めから、主の十字架の時刻は決まっていたんだと思いました。
だったら、尚更…
主はその時刻に合わせて生きて来られたという事。
生まれた時から、ご自分の生まれた目的をご存知だっただろうし、
十字架を目指して生きて来られ、
沢山の人を癒したり、福音を宣べつたえながらも、
心は十字架に向かっておられたのです。
ルカ9:51には、
「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、」とあります。
ガリラヤ地方に居られたイエスさまは、
この時から十字架にかかるまで、
沢山の事をされました。
72人の弟子たちを派遣したり、
良きサマリヤ人の例え話をされたり、
マリヤとマルタの話
主の祈りを教えられました。
神の国が近づいた事を宣言されています。
パリサイ人や律法学者の偽善を非難されたり、
ラザロを復活されたり
ザアカイにも会われました。
弟子たちは気付いてなかったけど、
一つひとつの出来事は、ゴルゴダを目指す過程だったのです。
着々と決められた時刻を目指し、歩まれたのです。
弟子たちはどうだったでしょうか。
弟子たちは分かっていませんでした。
そして、この最後の聖餐式の時に、
自分たち、弟子の中に裏切り者がいると知るのです。
そして、イエスさまの身に恐ろしい事が起こるという事を感じて行くのです。
弟子たちが、主の身に何かが起こる…と感じてから、
十字架にかかるまでは1日以内の出来事です。
主の計画って、ちゃくちゃくと進んでいる。
でも私たちは気付かないのです。
弟子たちも、イエスさまの姿をみながら、
いつも通り、癒しを行なわれ福音を伝えられる姿…
何てことない普段の日常と同じなのです。
そして、「何かが起こる…」と気付いた時は、
あっという間に主の計画は進むのです‼
弟子たちのように、主と共に寝食を共にしながらも…
主の計画、主の時と言うのが分からないのです。
主は、今も生きておられ働かれているのです。
私たちにとって、今日は普通の一日かもしれません。
しかし、主の計画は着々と進んでいるのです…‼
そして、「あれ?何か…」と気付いた時は、
あっという間にその時、その時刻が来るのです。
主は、時刻を決められている…
私たちは気付くのが遅い…
だったら、いつその時刻がきても対応できるようにするしかないのです。
まるで花婿を待つ花嫁のように。
私たちが祈っていること。
家族の救いや、将来の事、目標としてる事、癒し、
これらの成就は私たちはいつ来るか分かりません。
しかし、気付いた時はあっという間なのです。
だから、今から準備が必要なのです。
祈りがきかれた後に慌てて準備をするのではなく、
聞かれた後に必要なものは、
今から準備‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)