主を悲しませる祈り【マタイ7:3-5】

2024年

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。
偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。

マタイ7:3-5

偶然、この動画を見ました。

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なるほど… こんな仕掛けがあったのか!と思いました。

時々、テレビでこのようなマジックを見たことがあります。

どうなってるんだろう…と思いつつも仕掛けはわかりませんでした。

視点を変えて、マジックをする側から見ると…

仕掛けがしっかりありました。

しかし、私たちが見る事が出来るのは、観客側。

観客は目を凝らしてマジックをみます。

どこかに仕掛けがあると思い、

それを見逃さないようにしようとみるのです。

観客はマジックの始めから終わりまでしっかり見ます。

しかし、どのようになっているのか理解できないのです。

私たちの生活でも同じことが起こっています。

私たちの日常の人間関係でトラブルを感じる時などがそうです。

私は簡単に「今回ばかりは相手が100%悪い」

「常識で考えても相手が間違ってる」と言うような事を思ってしまう事があります。

始めから終わりまで、自分はその場にいて体験しているからです。

自分は正当な判断をしてると思っているのです。

主は、マジックのように私たちに仕掛けをかけ、

惑わすような事をされる訳ではありません。

ただ、このマジック動画のように、

私たちの目は、始めから終わりまでしっかり見たとしても

見えていないのです。

多くの錯覚をしているのです。

それぐらい、私たちは、全てを見てると思っていても

実は見えていない事が多いのです。

…よく、祈って欲しいと言われる内容で、

人間関係の事が多いです。

「〇〇さんに傷付けられた」

「〇〇さんのせいで教会にはいけない」

「教会の人たちはクリスチャンらしくない」

また職場においても

「あの上司のせいで…」

「あの人さえいなければもっと…」

このようなストレスを良く聞きます。

しかし、実はこれも、観客からの視点…

自分の目でみたものなのです。

私たちは世の中の出来事を凝視したとしても、

殆ど全ては、自分目線、自分解釈なのです。

全てを見たように思うだけで、

全てを見れていないのです。

人間関係において「〇〇さんのせいで…だ」という話は良く聞きます。

しかし「私は誰かを傷つけているかもしれない」という視点は

あまりされないのです。

私たちはいつも、自分は被害者となり、

他の人が加害者だと思ってしまうのです。

そして、被害者として主に祈るのです…

自分は全てを見れていないし、

自分は正しい判断を出来ない。

自分は初めから終わりまですべて見たと思っていても、

実は見えていない…

自分は絶対に正しい…と思う時、

注意する必要があるように思いました。

私に、自分中心な祈りばかりを聞かされている主…

主は私の祈る姿をご覧になり、悲しまれている気がしました。

自分が全てを見極められないのに

自分が正しいと主張している事に対して…

主に悔い改め、

これからは、自己主張に気を付けよう…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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