ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
Ⅰ歴代誌4:10
Ⅰ歴代誌の1-9章まではへブル民族の家系が記録されています。
アダムから500以上の名前が記載されています。
その中に出てくる「ヤベツ」
ヤベツはここにしか出てこないのです
ヤベツがどういった人物なのか分かりません。
彼の母は「私が悲しみのうちにこの子を産んだ」と
言ってヤベツという名をつけたのです。
訳によっては、「痛み」「苦しみ」となっています。
彼に対して分かっている殆どないのに、
この長い家系図の中に彼の祈りが記録されているのです。
聖書に記録されているという事は、
主がヤベツの後世に、私たちに伝えたいという事!
彼の祈りは主に喜ばれ、覚えられ、主の心を動かし、祝福を受けたからこそ、
家系図の中に突如として、彼の祈りが記録されたのです。
他に何の功績や地位などのヤベツの記録がない所をみると、
普通の人だったんだと思います。
普通より…もっとスタートは低いかもしれません。
親に「痛み」「苦しみ」などという名を付けられたのですから。
彼は、ずっと「痛み」と呼ばれ続けたのです。
彼の人生は明るいものではなく、
どちらかと言えば、暗いものだったのではないかと思います。
…最近…でもないですが、
良く聞く言葉で「ガチャ」という言葉があります。
「親ガチャ」「子どもガチャ」「時代ガチャ」など…
自分で状況を変える事が出来ない不運。とでも言えると思います。
私の周りの人たちにも、自分の生まれた不運を嘆く人は多いです。
貧しい家で生まれた。
毒親の元で育った。
干渉が酷い過程で生まれた。
兄弟で比べられて育った。
自分がする事を全て否定されて育った。など
私も、同じような思いで生きていました。
自分ではどうする事も出来ない家庭環境や状況、健康、心の傷。
自分でどうする事も出来ないのですから、
まるでガチャです。
自分がこれを引いてしまったのだから仕方ない。
自分に割り当てられたガチャで生きていくしかない…
多分、ヤベツも同じような思いを経験したのではないかと思います。
しかし、彼の素晴らしい点は、
人生のスタートから良くなかったにも拘らず、
大胆な祈りをしたという事です。
そして、それは主に喜ばれ、主の心を動かし祝福を手に入れたのです。
主は、全知全能。
何でもする事が出来ます。(罪を犯す事はできない…)
主の祝福とは、「主が出来るかどうか」が問題ではなく
「主の心が祝福しようと動くかどうか」だと思います。
もし、自分が悲しい人生を強いられている。
自分には価値がない。
自分にはこれぐらいの人生がお似合い…という
諦めに似た思いがあるのなら…
絶対に、祈り方を変えた方が良いです!
聖書を見て、主が心を動かされている箇所があります。
主が人を見て驚かれる時があるのです。
素晴らしい仕事をしている。素晴らしい容姿。ではなく、
主が心を動かされ、驚かれている箇所は、
その人の「信仰」を見て…です。
百人隊長の「お言葉だけを下さい」という信仰。
カナンの女性の「子犬でも主人の食卓から落ちるパンくずは頂きます」という信仰。
主は、私たちの信仰を見て、驚かれ、心を動かされるのです。
主は心を動かされた人に、もっと祝福を与えて下さるのです。
…ヤベツの「私の地境を広げて下さい」という祈り…
本当に好きです。
多分、何ももっているものはないヤベツが、
大胆に祝福を祈り、求めたのです!
自分の地境というのは、
自分が所有する土地を広げて欲しいという意味もあると思いますが、
私は、自分の限界を超えて下さい。
自分には出来ないという思いを、主が越えさせて下さい。
自分には能力がない知識も知恵もない…
自分には足らないものが沢山ある。
しかし主によって、自分の限界を超えたものを主が与えて下さい!
という意味に感じます。
主の祝福は、皆に与えられるもの。
しかし、より特別な祝福を受ける為には、
求めないと与えれないのです。
求める者を祝福されるのです。
今日も、祈ろう…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)