聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。Ⅱテモテ3:16-17
今日、次男の学校に行く用事がありました。
用事を済ませ帰ろうとしていると、ある保護者に声をかけられました。
「突然すみません…ちょっと時間ありませんか?」と。
学校で見かけたことがある方でした。
「え?あ、はい…えーっと…」と言いながら、
誰だっけ? どこかで会ったっけ?と記憶をフル回転させていると、
今にも泣きそうな顔…
「え…どうしたの? ごめんなさい。どこで会いましたっけ?」
ボロボロと泣きだしたのです…💦
ビックリしてとりあえず、車の助手席に座ってもらいました。
そして、何も話さず、彼女はずっと泣いたのです。
「良く分からないけれど(笑) 泣いていいよ~」というと
沢山の涙…
そして、少しずつ話し始めました。
小学校の保護者である事。
クリスチャンで教会に通っている事。
そして、家庭の問題、子どもの問題、姑の問題、仕事の問題…
何もかもが上手くいかず、孤独であるという事。
今年に入ってから私がクリスチャンだと誰かに聞いた様子。
そして、いつか話をしてみたいと思っていてくれたようでした。
しかし、見かけた時は、私はいつも誰かと一緒にいたそうです。
そして、今日、1人でいる私に偶然会ったというのです。
自分の心が問題に押し潰されて限界を感じていた時に、
1人でいる私を見て、
主に背中を押されたように感じと言われていました。
問題が沢山あって、あれもこれもと気持ちが先走り、
上手く話せない様子。
上手く伝えられない事に、落ち込んで…(笑)
でも結局は、私が彼女の状況を理解する事より、
主は上手く言葉にならない事も受けとめて下さる…
だから大丈夫! と言い、
30分ほど、彼女の話を聞きました。
そして一番言いたい事は、
「主はいつ助けてくれるんだろう…」
「主は、私の事を忘れられている様に思う」
「主の御心が分からない」という事。
主の御心って、基本的には聖書から教えてもらうもの。
私たちは、色々な問題に苛まれたり、
目の前に大きな困難がやってきたら、
直ぐに限界を感じてしまう。
そして、もうどうすれば良いのか分からなくなる。
一番しないといけないのは、
聖書を読む事…
私は人間に起こる全ての問題に対する答えは、
聖書にあると思っています。
この様に言えば「じゃ、私の人間関係に対する答えはどこ?」と
聞きたくなると思いますが…
それは、人それぞれ、主が下さる答えは違うのです。
結局は、主と私との関係。
忙しすぎたり、何かに集中したり、
難しい状況に追い込まれたりすると…
私たちは「どうしたらいいの??」と大騒ぎになります。
だからこそ、日頃から
毎日聖書を読むのです。
聖書は、主からのメッセージ。
聖書の時代に生きていた人たちが
イエスさまの御言葉が一冊の本にまとめられている‼と
知ったら…
凄く羨ましがると思います。
そう思ったら、
私たちは、恵まれた時代に生きているんだと思います。
主の御心は聖書の中にあり、
祈りは主との会話。
賛美は主に栄光を帰するもの。
彼女のように、本当にもうどうしたらいいのか分からない…
泣くしかない…という状況になっても、
私が答えを上げる事は出来ず、
一緒に祈り、これからどのようにしたらいいのか(デボーション)を
伝えるだけです。
結局は、主と向き合うしかないのです。
私も、主との交わりの時間を大切にしよう…と
改めて考えさせられる時間となりました。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)