わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
それは、日の上る方からも、西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが主である。ほかにはいない。
わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」イザヤ45:5-7
先日、1ヶ月に一度行われるPTA会議がありました。
この会議で毎月会うクリスチャンの保護者がいます。
そして会う度に話しかけてくれるのですが、
いつも自分の話です。
「前に話した事だけど…」と前回の今ある問題の続きを話すのです。
そして「祈って欲しい」と言う内容。
以前、2年程、同じ教会にいたという事もあり、
同じ学校の保護者でもあるので、
何でも話しやすい様子。
いつも言うのが
「主を信じたら、問題がなくなればいいのに…」
「神さまだって、そうした方が人々はもっと信じやすくなるのに!」
どうやら心からそれを願っている様子。
私はいつも同じ内容の答えを返します。
人は、問題がなければ、主を忘れる。
主は、この世で初めに造られたのは「光」
そして「闇」も残された。
その理由は多分、
人は「闇がないと光を求めないから」
寒さがないと温かさを求める…
問題があるから解決を求める
不安があるから平安を求める
苦しさを感じるから解放を求める
全てが満ち足りていると、私たちはどうなるでしょうか。
主がいなくても生きていける‼と
高慢になるのです。
そして主を忘れるのです。
これは確実だと思います。
しかし、もしも、苦しみに遭っているのに、
主に解決を求めず、
自力で何とかしようとしたり…
時間が解決するのを待つだけだったら…
苦しみは苦しみで終わるのです。
そこに主の御力、主の愛、主の計画、主の存在に気付かないのです。
苦しみは、苦しみだけを受け取ってはダメなのです。
苦しみに隠れている意味。
苦しみに隠れている主の計画。
苦しみに隠れている主のメッセージを受け取ってこそ、
意味があり、
主が本当に与えようとしているものを受け取れる…
結果的には、信仰が成長するのです。
省略して言えば、
主は信仰を成長させようと、
色々な出来事を許されているんだと思います。
この話を何度となく話すのですが…
なかなか伝わらない。というか、
実感として受け取って貰えない様子。
顔を見る度に、課題は変わっても同じように
苦しみの中にいます…
苦しみだけを受け取るのは…残念…
主は、闇も苦しみも創造されたお方。
そう思ったら、
私たちって愚かな存在ですね。
苦しみがないと主を忘れるのですから…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)