祈りについて【Ⅱテサロニケ1:11】

2024年

そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。

Ⅱテサロニケ1:11

今日は、朝から次男の学校の問題について

関係者たちと会議がありました。

早めに行って資料の整理をしようと2時間前に行きました。

すると、韓国人の保護者でクリスチャンのAさんとBさんが

「早く来ると思った!手伝いに来たよ!」と言ってくれました。

思いの外、準備が早く終わったのです。

そして久しぶりに2人と学校の事以外の話をしました。

Aさんの長女はここではない違う高校へ進学し、

今高3。韓国の大学を受験するとの事。

と受験の話になりました。

私「色々大変だよね~」と声をかけると、

A「うん。でもさ、私がこうしてください!って

祈らないようにしてるの。

だって、主は私たちに良いものを与えてくれる神さまなんだよね?」

と言うのです。

私「うん。そうだよね」

A「だから、もうそう思ったら、段々祈らなくなった(笑)」と言うのです。

私「え? どうして??」

A「だって、主は私に良いものを下さる方だから。

私が願わなくても、主は勝手に私に与えてくれるでしょ!

それに、私が求めるものと、主が下さるものは違うし…」

と言うのです。

私「え・・? 何か、どこか大きく違ってると思う!」というと

A「え? そう? どこが? 主に委ねてるんだよ!」と言うのです。

Aさんが言う「私が求めても求めなくても、

主は私に良いものを与えて下さる」というのは

「主に委ねている」というより「神任せ…」

会話のない、良い親子関係は存在しません…

良い関係とは、コミュニケーションがあって成り立つもの。

言わなくても良いものをくれるという関係は、

どことなく、主がAさんの秘書の様な感じがする…

と言う話をしました。

するとBさんが「私はスッゴク祈ってるよ! 祈る事って一杯ある!」と言うのです。

A「Bさんは、信仰熱心だから!」

B「でも最近、自分の祈りが合っているのか…って思う事がある…」と言うのです。

私「何を祈ってるの?」と聞くと

B「夫の健康と、仕事の祝福、職場での人間関係、昇進も気になるし…

後、子どもたちも健康と、受験。学校での友達関係。

イジメから守ってもらうように。子どもが加害者にもならないように。

学校の成績も気になるし、背ももっと高く伸びて欲しい…」と

願いが次から次へと出てきるのです。

私とB「すっごく多い(笑) 一つ一つ大切な祈りだよね~」と言いながらも

どこか違和感を感じたのです。

全てお願いの祈り…

「こうして下さい」「こうなって欲しい…」

私たちは口から簡単に願いを祈ってしまいます。

それを祈る事は間違えていたり、悪い事ではないのです。

しかし、多分…

主に喜ばれる祈りは、

「自分の願いはこうなることです。

主の御心通りになりますように。

自分の願い通りにならなくても、信仰を無くすことなく、

喜びを持って主に従順できますように」

と祈るのが良いのではないか…?

私たちは、簡単に

絶対に、こうなって欲しい!

これが絶対に欲しい‼

この様にして下さい‼

という願いの祈りが口から出やすいです。

しかし、それ以上に求めるべき祈りは、

救いと信仰の成長。

信仰に関する祈り…

良い状況になりますように!と祈っても

良い信仰者となりますように!とは

余り祈らないように思います。

私も含めてですが、心のどこかで

「沢山祈れば、細かく祈れば、良い信仰」

「祈りの時間を沢山持てば、敬虔なクリスチャン」と思いがち…💦

私は、自分の反省点は、なかなか気が付かないのに…

人の姿を見て気付く私…

…だからこれは私の姿でもある…と謙遜に受け止めよう。

そして、祈りについてもっと黙想の時間を持とう…と思わされました。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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