私が主の邪魔をしているかもしれません【エレミヤ33:3】

2024年

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

エレミヤ33:3

学校の保護者で教会に通っているAさんがいます。

まだクリスチャンではないのですが、

月に何回かは教会に行くようです。

私「結構、長く通ってるよね? 信仰はどう?」と聞くと、

A「うーん…どうかな… 良く分からない」といつも答えます。

しかし、教会とは付かれ離れず。

行事などにも参加したり、奉仕もしたりします。

私「牧師先生とかと聖書の学びはしないの?」

A「しましょう!って言われるけど…別にしなくていいかな…と思ってる」というのです。

私「Aさんは、どうして教会に通ってるの?

イエスさまを信じたいと思ってるの?」と聞くと

A「信じれたら信じたいけれど… 教会はどちらかと言えば、

人との交流かな…」と。

どうやら、韓国から日本に来て、

韓国人と知り会いになりたく、教会に通っている様子。

本人にとって、教会は同胞に会える場所であり、

知り合いを作れる場。

韓国の人だけでなく、

この様に思って教会に通う人が時々居られるようです。

気持ちは分かりますが、

少し違うようにも思います。

人を目的として集まり、人を通して主や聖書を見ると、

必ずつまづきます。

一般的に「クリスチャンは優しい」と思われがち。

しかし、クリスチャンと言えども罪を犯す人間。

人を通して主を見たら、

必ずと言っていい程、つまづくと思います。

私たちは完璧とは程遠い人間だから。

そして、人間は難しい問題に出合ったら、

直ぐにそれを解決しようと、大騒ぎになります。

誰かに相談したり、そこで思うような答えを得れない場合、

また違いう人に相談するのです。

人を通して問題を解決しようとします。

これは、教会に通う通わない関係なく、

殆どの人が、目の前の問題に対して、早く解決しようと

解決を試みるのです。

Aさんのように、人と繋がりたい…という目的だと

尚更、教会の人に頼ってしまいます。

自分の問題は、主の前に持って行き、主によって解決を得る。

しかし、問題から早く解放されたい一心で、

人に頼るのが容易い環境になってしまいます。

本当に、教会には親切な人が多くいますので、

困っている人を助けようとしてしまうのです。

しかし、本当は、人が解決するのではなく

Aさんが主の前にでて、祈り、問題を通して

主と出会うのが一番なのです。

だから、人を助け過ぎてもダメだと思います。

私は、子どもたちに時々話をします。

「付き合う人は、クリスチャンが良い」と。

クリスチャンでない人と、価値観も違いますし、

主日の重みも違います。

また将来、教会で仕えようと思っているのなら尚更…

相手が求道中だったら、

信じるまで待ってから付き合うようにと言っています。

求道中であるなら、彼氏(息子)がいたら、

何か困った時は、彼氏に頼ります。

問題を主に持って行けません。

という事は、彼女は問題を主に持って行かないといけないのに、

自分が彼女と主の間に入ってしまうのです。

主の邪魔をしているかもしれないのです。

しかし、人は、目の前に問題に苦しんでいる彼女や人がいたら

助けてあげたい…と思ってしまうもの。

でもね…

助け過ぎはダメだと思います。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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