目の前に主を見る生き方【使徒2:25-26】

2024年

ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。

使徒2:25-26

コロナの隔離期間が終わりました。

幸い、夫は韓国にいており、次男は教会のキャンプなどで殆ど家にはおらず、

コロナ期間は、1人で自宅で過ごす事ができました。

隔離が終わり、念の為、まだ人と会うのを避け

資料作りなど自宅で出来る事を再開しようと思っていました。

そして、まずデボーション…

今日の御言葉は、2mを超えるゴリアテと、少年ダビデが戦った時の話です。

『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。

主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。

それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。』

何か泣けてきます…

人間的には2mを超える人と少年。

最近丁度、オリンピックで2mを超えるバスケット選手などを目にしていました。

画面越しで見ても、すっごく高い…

ゴリアテはこのバスケ選手たちよりも体格も良かっただろうし、

もっと威圧感があるのではないか…と思います。

どう考えても、少年には勝ち目はありません。

私たちの目や、私たちの常識的な判断では、

ダビデが勝つなんて不可能なのです。

しかし、この御言葉を見ると、

ダビデは「いつも自分の目の前に主を見た」のです…

ダビデの前には、巨大なゴリアテが立っています。

しかし、ダビデの目には、そのゴリアテより

もっともっと巨大な、主が見えたのではないでしょうか。

そしてダビデが倒れないように、主は右にもいらっしゃったのです。

巨大なゴリアテ…

多分、多くの人が「え…こんな人間見た事ない…」

「本当に私と同じ人間なんだろうか…」と恐れを感じてしまうような

人物だったと思います。

しかし、そのようなゴリアテを前に、

ダビデの心は「楽しみ」

ダビデの舌は「大いに喜んだ」のです。

普通ではありえない状態です。

人間的には、絶体絶命で、

死を覚悟しないといけない状況。

単に、勇敢に戦った…ではなく、

楽しんだのです。

ダビデは「この戦いは主の戦い」と言っています。

目の前にはだかる大きな問題…

自分では到底解決できない問題…

自力ではゴールまで走り切れない問題…

そんな「限界を超える問題」の背後にいる主を見れたら…

自分の右にいて下さる主を感じる事が出来たら…

私たちは「楽しみ」ながら立ち向かう事が出来るかもしれない。

問題の渦中は苦しく辛いのが当たり前。

でも、もしかしたら「楽しく」過ごす方法もあるのかもしれません。

ダビデのように。

私は、そんな人生を歩みたい…

どのような人生の渦中であっても、

主と共に楽しんで歩める信仰を持ちたい!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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