礼拝で恵まれた?恵まれない?【ヨハネ4:23】

2024年

しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

ヨハネ4:23

ブログを読んで下さっている方が

「最近、教会でメッセージを聞いても恵まれない…」という

話を聞きました。

「以前は、凄く恵まれたのに…

最近は全然、恵まれない。これは自分に問題があるのか

それとも、先生のメッセージが合わないのか…」

こんな話は時々聞きます。

反対に「今日は凄く恵まれた‼」と言う人もいますし、

「今日は、良く知っている話…」

どうしてこのように表現するのでしょうか。

礼拝でメッセージを聞いて、

心打たれる部分があれば「恵まれた」と思い

イマイチ心に響くものがなければ

「今日のメッセージはイマイチ…」と思ってしまう。

YouTubeで色々な先生のメッセージが聞けます。

「この先生、凄く恵まれる!」と思ったり…

…どことなく、メッセージを通して恵まれれば、満足感を感じ、

恵まれない事が続けば、

どことなく信仰が低迷してるかのように感じたりもします。

恵まれれば、良い状態で

恵まれなければ、良くない状態。

本当にそうなのでしょうか。

本当は…

礼拝は、私が恵まれるかどうか…は大切ではないと思います。

礼拝は、恵まれる為にするのではないのです。

礼拝は、自分の満足の為にするものではないのです。

本当は…

今日、捧げた礼拝に、主が満足されたかどうか…

今日の私の姿に、

御心に心を寄せる姿、

献金を捧げる姿、

賛美を捧げる姿、

主を思う心、

これらに、主が喜ばれ、主が満足されたかどうか…が重要なのです。

私が満足する為に礼拝を捧げるのではなく、

主に喜ばれ、主が満足されるかが大切。

…私たちは、何気なく「恵まれた!」「恵まれない…」と口にしてしまい、

それが信仰の判断基準のようになってしまっています。

当たり前に考えている事が、

実は大きくズレている事もある…

1つ1つ、見つめ直していきたいです‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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