主の恵みを選択する【ローマ12:2】

2024年

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

ローマ12:2

友達からラインが来ました。

洗礼を受けて、丁度丸2年のクリスチャンです。

献金の感謝祈祷の奉仕…

牧師先生から、毎月の奉仕としてお話を頂いたそうです。

友「えー!無理ですよ… それって拒否権ありますか?」

牧師「ありますよ。あるけれど、祝福が受けられないよねぇ」と言われ

友「やります!」と即答したようです。

これって、私たちによくある反応ですよね。

何か初めての奉仕を依頼された時…

無理だよ…私には…

だって私は、まだまだ…

教会にはずっと通っているけれど、

人前で祈るなんて、私には無理…

私より、もっと素晴らしい信仰を持っている兄弟姉妹がいるのに…

と思ってしまいます。

この話を聞いて、彼女の通う教会の牧師先生、

良い先生だな~と思いました。

もし、私が牧師先生だったら、

「奉仕を通して、信仰って成長するんですよ」と答えそうです。

本当にそうだと思いますが…

彼女の教会の先生の答えは、

ユーモアもあり、理解しやすく、

そして「してみたい!」と、心が揺さぶられるように思います。

代表の祈りや、日曜学校の先生など、

「いやいや… 私なんて無理です!」と

考える間もなく、断ってしまいそうです。

しかし、実際に奉仕を通して

信仰は成長するのです。

主と向き合う時間が長くなるからだと思います。

ある心理学者がこんな事を言いました。

「他人を助けることが最終的には自分自身の成功や幸福にもつながる」

「他者を支えることで、私たちは自分自身を支えることになる」

私には、人を支える力があるから、支えるのではないのです。

支えるから、私に力がつくのです。

筋肉がないから、ウエイトトレーニングをするのであって、

トレーニングを通して筋肉が付いてくるのです。

アブラハムもモーセも、

始めから素晴らしい信仰や、

人並外れた決断力があった訳ではないのです。

主に示された一歩だけを信じて進み…

また、一歩進みする中で、

失敗と成功を繰り返し、成長していったのです。

始めから完璧な状態を求められているのではなく、

一歩を従うか。

一歩を選択するか。

しかし、残念な事に、

私たちは「奉仕」と聞くと、

考える間もなく、反射的に断ってしまう事が多いと思います。

負担に感じてしまい、心を閉じてしまうのです。

日曜日の礼拝に来るだけでも大変なのに…と。

彼女の教会の牧師先生が言われたように、

奉仕をしないという選択肢もあります。

しかし、主の祝福が自分の目の前を過ぎ去り

他の人の手に渡されるのです。

この世を去り、主に出会った時…

「あなたに祝福を渡したかったのに…」

「どうして受け取ろうとしなかったのか?」と言われたくない…。

「忠実な良い僕だった」と言われたい…。

反射的に答えを出す時、気を付けないといけません…

考えなくても出来る事。

日々のタスクにしている事。

立ち止まる必要があるように感じました。

何が自分にとって、自分の信仰にとってプラスとなるのか。

何が主に喜ばれる事なのか。

主よ。私たちが、良いものを選択する事が出来ますように、

霊的な目をひらいて下さい!

また、献金の感謝祈祷の奉仕をする友達が、

この奉仕を通して、信仰が豊かに成長し、

主の臨在を感じる恵みを得ることが出来ますように…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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