人生の最期に見せる姿【Ⅱテモテ4:6-8】

2024年

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

Ⅱテモテ4:6-8

数日前に、知り合いの子どもが亡くなられました。

23歳です。

どうして亡くなったのかは知らないのですが、

この両親は、兄弟は、今どの様な心境に追い込まれているんだろうか…

と思うと胸が痛みます。

残された家族のこれからの人生は、

どのようになるんだろう…

1人の子どもを失い、その瞬間から

残された家族の人生も変わってしまうように思います。

色々な物の考え方も変わるでしょうし、

人生観も変わるかもしれません。

暗い闇の中を歩んでしまうかもしれません…

本当に胸が痛みます。

今日の聖書の箇所のⅡテモテへの手紙は、

パウロが最後に書いた手紙です。

ローマの牢獄の中で書きました。

自分が処刑されると知っていました。

自分の寿命が来て死ぬのではなく、

人の手で死を迎える事になるのです。

今日の御言葉は、

パウロが自分の人生の最期に残した言葉です。

パウロが書いた手紙を読むと、パウロは自分の人生の最期を嘆いていません。

喜びに満ちているのです。

自分には義の栄冠が用意されているだけだ。

と言っています。

人間は、生きていたように死んでいくと言われています。

人生の生き様が、最期に表れるのです。

主の栄光に包まれ、主の愛に包まれ、

牢獄にいながらも、希望に満たされたパウロ。

このような最期を迎える事も出来るという事です。

人間的な目では、パウロの死に様は最悪ではないでしょうか。

パウロはクリスチャンを迫害していた人物です。

クリスチャンを捕まえ、拷問し、殺害していたのです。

そして、今まさにパウロは自分がしていたように、

同じ目に遭おうとしているのです。

人間の目には、因果応報であり、

自業自得な人生だ!と見えるかもしれません。

しかし、パウロは罰を受け、自分がしたように、

自分もされるのではないのです。

彼には大きな人生の転機がありました。

自分が良いと思ってしていた事が、

的外れだったと分かり、悔い改めたのです。

悔い改めとは、

「あ!こんな事しなかったら良かった」

「間違っていた!」という後悔をする事ではないのです。

間違いに気付き、主に自分の罪を告白し、方向転換するのが、

悔い改めなのです。

彼は、自分の人生を方向転換をしました。

クリスチャンを迫害する人生から、

キリストに人生を捧げる人生へと方向転換したのです。

…私はどのような最期を迎えるんだろう…

それは今の生き方が反映されるのです。

感謝な思いに満たされて、この世を旅立ちたいです…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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