主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
ミカ6:8
知り合いのクリスチャンの方が
「自分には賜物がないのよね…」と話しかけてきました。
私が見る限り、賛美も上手だし、声も良いし
教会での奉仕も楽しんで出来る。
彼女が教会にいれば、教会は明るい雰囲気になりそう…と思う人です。
しかし彼女は、「私の賜物は、これだ!」と言ったものが欲しい様子。
そんな話をしていると、
私自身も「自分の賜物はこれだ!」と言えるものはない…と言う話になり…
そこに、ピアノの奉仕をしている女性が会話に加わりました。
「私も、ピアノ以外何もない…
ピアノは幼い時から習ってたから弾けるけど…
だからと言って音大を出た訳でもなく、
自分が通っている小さな教会だから奉仕できるけど、
大きな教会に行ったら私より上手な人は多いはず…」
そんな会話をしながら、自分たちの心のどこかに
「自分が自信をもって出来る事」を
欲しがっているという思いがある事に気付きました。
教会と言うコミュニティーの中で、
自分をたてるもの、存在意義。
また「主に用いられている」という満足感。
私たちの心の中に、このような思いが潜み、
「賜物」を求めてしまっているのではないか…
これは何か違うよね…と話は終わりました。
そして今日、聖書を読んでいて今日の御言葉が心に残りました。
主が私たちに求めておられるもの。
ただ公義を行い、
誠実を愛し、
へりくだって
あなたの神とともに歩むこと。
主が一番、私たちに望まれていることは、
公義を行い、誠実を愛し、へりくだり、主と共に歩む人生。
そうなんです…
私に、何か凄い能力があったとして、
例えば、凄腕のお医者さんだったとして、多くの病を神の如く治せたとしても、
主と共に歩まない人生であれば、
主には喜ばれないのです。
大きな業が出来たとしても、
主に取っては、大きくはない。
もしかしたら、ちっぽけな業かもしれません。
マザーテレサの名言を思い出します。
【私たちは、成功するためにここにいるのではありません。
誠実であるためにここにいるのです】
主は、結果、成果を注視する方ではなく、
プロセスを大切にされる方。
私がどの様に人生を歩んだのか。
何かを達成するより、人生を主と共に歩んでいるのか。
そして忘れてはならない3つ。
人々に対しや、全ての関わりにおいて、公平に公正に対応する…
憐れみを持って、正しく接するという事。
そして、へりくだり。
祈りもへりくだる行為の1つです。
自分には力も知恵もない。
主の助けが必要だと告白する事だからです。
まず、「賜物がない…」というより、
ここからもう一度始めようと思います。
自分が主と共に人生を歩めているか…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)