心に傷が多くないですか?【詩篇139:23】

2024年

 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

詩篇139:23

仕事に行っている病院で、よくナースコールが鳴ります。

その様な時は、出来る限り、私が看護師さんより先に病室に言って対応するようにしています。

ナースコールの半分ぐらいは、誰もが出来る用事が多いからです。

今何時? あれ取って! ごはんまだ?

メガネがない…など。

このような用事は、私で十分事が足ります。

そして用事を終わらせたら、担当の看護師さんを探し、

「〇号室のAさん、眼鏡を探してました」とナースコールの内容を伝えます。

しかし、時には患者さんがナースコールで呼び、

キツイ口調で話される事もあります。

「お前(助手)じゃない!看護師を呼べ!」

その場合、看護師さんの二度手間にならないように

要件を聞くようにしています。

すると一層、口調が強くなる方も居られます。

看護師さんに状況を伝えると…

看護師さんが良く言われるセリフがあります。

「嫌な思いをさせてしまってすみません!」と私に謝られるのです。

それを聞く度に、

多分、沢山の暴言を聞かされるという経験があるから、

私にまで気を使ってくれてるんだろうな~と感じました。

常時、対応が難しい患者さんが数名、入院されています。

そして、そのような患者さんは、

1時間に何度もナースコールで呼ばれるのです。

そんな日は、私が積極的に看護師さんより先に行くようにしています。

特に、若い看護師さんは「本当に助かります」と喜んでくれます。

看護師さんは、普段の仕事以外に、勉強会のプレゼンや資料作りなど、

しないといけない事が多いのです。

そして、先日の夜勤の時に、

3年目の看護師さんに「LBさん(私)って、強いですよね~ どうしたら強くなれますか?」と聞かれました。

私「え?(笑) 私、強いですか?」と聞くと

看護師さん「だって患者さんに何を言われても、傷付いてないですよね。多分…」と言われたのです。

どうしたら傷つかないのか教えて欲しいと…

そう言われて、あ…私強いかも…(笑)と思ったのです。

どうしてだろう?

失礼な暴言を吐かれても、傷付かないのです。

若い時は、人に何か言われたら、傷付いていたはず。

いつから強く(?)なったんだろう…

思い出した事は、

クリスチャンになってから、私は考え方が変わったのです。

クリスチャンになる前は、心に傷が多かった。

傷しかないかもしれない…と思えるぐらい。

でもクリスチャンになり、

聖書を読むようになってから、気付いたのです。

私はウソを信じていたっていう事に。

誰かが私に「役に立たないよね」と言ったとしても。

それはその人が勝手に思っている事に過ぎない。

主は私の事を「役に立たない」なんて

思っては居られない。

主は、私を必要とされている。

「あなた頭悪いよね」と言われても、

それは、その人の感想であり、主はそう思われてはいない。

主は、今の私を用いて下さり、不足はないのです。

私は、ウソの言葉に心を奪われ、ウソの言葉を信じ、傷付いていたのです。

ウソの言葉は、主とは反対の言葉。

私を傷つけようとし、私から生きる力を奪おうとする力。

ウソの言葉は信じたらダメなのです。

ウソの言葉を信じて、喜ぶのはサタンだけです。

…という事は、

耳にした言葉が、本当の言葉なのか、ウソの言葉なのか、

聞き分ける必要があります。

このようなウソの言葉は、この世に溢れています。

患者さんの暴言も、ウソの言葉なのです。

私がそれを真に受けて、傷付く必要がない言葉なのです。

傷付く必要がない言葉に、傷付いてしまう人が多い…

時々、自分の心の中を探る必要があると思います。

私の内に傷ついた所がないのか…

必要がない事で傷ついていたら、損をしているかも…

聖霊さまに探って貰いましょう。

間違った心の痛みが私の内にあるのかどうか。

そして見つけた場合は、祈って勝利するのです。

「主よ。私が主の言葉ではない、ウソの言葉を信じる事がありませんように。

私の内に間違って傷付いている事がないかどうか、探って下さい!」

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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