いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
エペソ5:20
先日、次男が家でテレビを見ていました。
私はそれを横目で見ていたのですが、
芸能人Aさんが「勝負差し入れ」を公開するという番組でした。
Aさんが「もう、これは自信です~!」と。
芸能人が誰だったか覚えていないのですが
凄く自信満々に紹介していました。
そして、それを味見した芸能人の方が
「え?本当に美味しい…食べたことがない味!」というと
満足そうに「でしょー‼」と。
その顔を見ながら「絶対に誰もが驚く程、美味しい!」
という自信があったんだな~と思いました。
そして次の芸能人Bさんの一押しの「差し入れ」
紹介に先ほどの芸能人より熱が感じられず…
味見を待つ人たちが
「どのような味?」「どのようにしてこれを知ったの?」という質問に対して
少し、しどろもどろ…
「…もしかして食べた事ないの?」と聞かれると
「まだ!でもかなり美味しいって聞いてる‼」と言いました。
紹介する熱量が違うのが一目瞭然。
本当にそう思ってるかどうか。
確信があるかどうかの差。
…今、自分の人生について、または自分の信仰について、どうだろう…?と思ったのです。
Aさんのように「本当に良い‼」という自信を持って言えるぐらい、
「生きるって素晴らしい!」という思いが私にあるだろうか。
確信が強ければ、Aさんのように
ドヤ顔で人に勧める事ができます。
しかしBさんのように食べたことがない物だったら、
心からそう思えていなかったら、
それほど全面的に前のめりで、人には勧めれないのです。
実際に「どんな味だった?」と聞かれたら
確信を持った答えではなく、
人から聞いた味の説明になります。
本当に心から思えていない答えは、
聞いた人の心を動かしたり揺さぶる事は難しいと思います。
私が家族や大切な友達に、主を伝える時…
どうだろう…
最近、信仰はイマイチだけれど…
でも教会には通った方が良いから…
「教会っていいよ」と、軽い気持ちで言ってるかもしれません。
習慣のように教会に通っている親の姿を見て、
その親の子は「教会に行こう!」とは思えないかもしれません。
仕事に行くのも「あーまた月曜日が始まった…」と言っていたら、
それを聞いて育つ子どもは、
仕事=辛い となると思います。
親が人の悪口が口癖となっていたら、
それを聞いて育った子どもは、
人間関係とはややこしいもの。となります。
自分の人生は、辛く苦しく、希望を持てていないのに、
子どもに「夢を持って歩め」と言っても説得力がない…
改めて、
自分の生き方、日々の歩み方って大切だと思いました。
小さな主の導きに目を向け、主に感謝する姿。
困難な中で、主に祈り、主に依り頼む姿。
主の目に良い方を選ぶ姿。
日々、デボーションをする姿。
隣人を愛し、親切にする姿。
主を愛する姿。
このような姿で歩める人になりたい…
主の香りを放つ姿は、大きな証ともなると思います。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)