主の「最大の恵み」を貰える日があります【ピリピ1:21-23】

2024年

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

ピリピ1:21-23

電車に乗っていて思わずクスっと笑ってしまいました。

前に座っている人のTシャツ…

「おまえの終わり方は、なんとなくフィニッシュだ!」と書いてあったのです。

すごーいい… 何て言葉!

表現が面白くもあり、凄く考えさせられる言葉です。

調べてみたら、松岡修造さんの名言。

何か、松岡さんが言っている姿を想像出来ます。

仕事で「人の最期の姿」を見る事が増えました。

また検査の結果で「癌」だと診断された方たちとも話す事が多くなりました。

「死」を目の前にする事が増えたのです。

私たちは、自分の最期なんて、あまり考えたくありません。

考えないと…と思う瞬間は何度となくあると思いますが。

考えても答えがない。

明るい未来については考え、想像が出来ても、

ワクワクしない未来について、考える事を避けたいのです。

私も、病院で働く前は、あまり考えたくはない話題でした。

私たちは多分、まだ(死を目の前にするまでには)時間があるだろうし…と思いがちです。

病院で働き始めて丁度1年です。

今まで、立派な最期。こんな人生いいな!とか

病名を聞いて最期を意識した人の姿… 動揺、不安な姿しか見たことがありません。

誰にでも、いつかはやってくる最期。

そして、いつやってくるかは分からないのです。

考える時間はいっぱいあったのに。

主は何度も、考えるタイミングを与えられていたのに…

最期を目の前にして、

「これで本当に終わってしまうんだろうか」

「これで本当に良かったのか」

「こんな終わり方で良かったのか」

「自分の人生ってなんだったんだろう…」と

思わないでしょうか。

私は、思うと思います。

今の自分が、自分の最期を想像した時、

上記のような思いが出てくると思います。

そして、答えがないまま最期を迎える…💦

今から準備しないと‼

最期だけ繕う事は出来ません!

最期の時には、家族1人ずつに感謝を伝える…なんて。

何の準備なしに出来ないのです。

何も考えずに、後回しにして生きていたら、

何もなしに「これで本当に終わってしまっていいのか…」で、終わるんだと思います。

そんな終わり方、嫌です…

本当に「何となくフィニッシュ」な終わり方。

日頃から主との関係をしっかり持つ。

最期に打ち勝てるのは、主だけなのです。

この世を去る時「ほんとうに…」ではなく

「主の御胸に行ける!」という喜びを持って迎えたい…‼

「主に会える‼」

「罪や欲という衣を脱ぐことが出来る…‼」

「病も苦しみもない神の御国に行ける‼」

希望を持って旅立ちたい…

今から、自分の頭から最期を排除せず、意識して生きて行きたい!

じゃ、ないと…希望に満ちた最期は迎えれないと思うのです。

最期は、主の「最大の恵み」の時なのです。

罪の赦しと永遠の命を頂ける日。

「待ちに待った、主の時が来た!」と

思えるように生きて行きたい…

最大の恵みを頂える日…

自分の日だけでなく、

自分の愛する人がその日を迎えた時…

静かに、凄く静かに、喜びに満たされ

愛する人を、主にお返しする信仰を持ちたい…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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