私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。ピリピ1:21-23
電車に乗っていて思わずクスっと笑ってしまいました。
前に座っている人のTシャツ…
「おまえの終わり方は、なんとなくフィニッシュだ!」と書いてあったのです。
すごーいい… 何て言葉!
表現が面白くもあり、凄く考えさせられる言葉です。
調べてみたら、松岡修造さんの名言。
何か、松岡さんが言っている姿を想像出来ます。
仕事で「人の最期の姿」を見る事が増えました。
また検査の結果で「癌」だと診断された方たちとも話す事が多くなりました。
「死」を目の前にする事が増えたのです。
私たちは、自分の最期なんて、あまり考えたくありません。
考えないと…と思う瞬間は何度となくあると思いますが。
考えても答えがない。
明るい未来については考え、想像が出来ても、
ワクワクしない未来について、考える事を避けたいのです。
私も、病院で働く前は、あまり考えたくはない話題でした。
私たちは多分、まだ(死を目の前にするまでには)時間があるだろうし…と思いがちです。
病院で働き始めて丁度1年です。
今まで、立派な最期。こんな人生いいな!とか
病名を聞いて最期を意識した人の姿… 動揺、不安な姿しか見たことがありません。
誰にでも、いつかはやってくる最期。
そして、いつやってくるかは分からないのです。
考える時間はいっぱいあったのに。
主は何度も、考えるタイミングを与えられていたのに…
最期を目の前にして、
「これで本当に終わってしまうんだろうか」
「これで本当に良かったのか」
「こんな終わり方で良かったのか」
「自分の人生ってなんだったんだろう…」と
思わないでしょうか。
私は、思うと思います。
今の自分が、自分の最期を想像した時、
上記のような思いが出てくると思います。
そして、答えがないまま最期を迎える…💦
今から準備しないと‼
最期だけ繕う事は出来ません!
最期の時には、家族1人ずつに感謝を伝える…なんて。
何の準備なしに出来ないのです。
何も考えずに、後回しにして生きていたら、
何もなしに「これで本当に終わってしまっていいのか…」で、終わるんだと思います。
そんな終わり方、嫌です…
本当に「何となくフィニッシュ」な終わり方。
日頃から主との関係をしっかり持つ。
最期に打ち勝てるのは、主だけなのです。
この世を去る時「ほんとうに…」ではなく
「主の御胸に行ける!」という喜びを持って迎えたい…‼
「主に会える‼」
「罪や欲という衣を脱ぐことが出来る…‼」
「病も苦しみもない神の御国に行ける‼」
希望を持って旅立ちたい…
今から、自分の頭から最期を排除せず、意識して生きて行きたい!
じゃ、ないと…希望に満ちた最期は迎えれないと思うのです。
最期は、主の「最大の恵み」の時なのです。
罪の赦しと永遠の命を頂ける日。
「待ちに待った、主の時が来た!」と
思えるように生きて行きたい…
最大の恵みを頂える日…
自分の日だけでなく、
自分の愛する人がその日を迎えた時…
静かに、凄く静かに、喜びに満たされ
愛する人を、主にお返しする信仰を持ちたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)