最期について考えますか?【ヨハネ12:27-33】

2024年

今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。
父よ。御名の栄光を現してください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」
そばに立っていてそれを聞いた群集は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ」と言った。
イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。
今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。

ヨハネ12:27-33

病院で働くと… 「最期」に立ち会う事が多いです。

あ…この方、最期が近いんだ…と思う方と。

え? あの人がどうして?と思う急変もあるのです。

最期までに時間がある時は、

病室に家族写真を置いている場合、家族写真を見せてあげます。

そして「良い家族に恵まれて感謝ですね」と話し、

耳元で「神さま。良い家族に恵まれ感謝します。今までの人生での過ちを赦して下さい。Aさんが天国に行く事ができるように。主を信じる事ができるように」と祈ります。

時折、自分の最期ってどうなんだろう…と考えるのです。

私は何度、自分の最期を想像しても…

「え… これで本当に終わり? これで終わってしまうの?

これで終わってしまっていいの?」と思うのではないか…と思います。

その度に、ある姉妹を思い出すのです。

以前にもブログに書きました。

母教会の女性です。

私の母親より少し年上です。

母教会に通っていた時、彼女の顔を見るだけで

私の心は穏やかになり温かい愛を感じました。

話される一つ一つの言葉に、

たわいもない会話の中にも、

キリストの愛が溢れていました。

私はいつも「どうしたらこの様なキリストの香りを放つ人格を持てるんだろう・・」と思っていました。

この姉妹は、召される寸前、呼吸苦が続いたそうです。

しかし、不満や否定的な言葉は一切なく

「有難いね」「感謝だね」とニコニコされていたそうです。

そしてご自分のお子さんたちには、

心配をかけている事を詫び、労わり、

お礼の言葉しか言われなかったそうです。

病院の看護師さん達にも、ニコニコしながら

「教会って良いよ!一緒に行こう!」と言われていたそうです。(何度も言いますが、呼吸が苦しい状態で…!)

全てを感謝し、周りの人々に感謝をしながら

「天国で会おうね。必ず天国で会いましょうね」と言われて召されたそうです。

この姉妹は、決して平穏無事な人生ではなく、

苦労が絶えない人生でした。

苦労の局面を何度も味わっている方でした。

しかし、信仰生活を送る中でも、

そのような苦労された方の様には全く感じませんでした。

不足なく凄く恵まれ、主に愛されている人生のような姿でした。

召される時に、周りの人に見せられた姿も、

全くその様な苦労の人生だったと感じさせない召され方だったのです。

私は、母教会の姉妹の最期が本当に美しい…

最高の最期だと思います。

このような最期を迎える事が出来れば、

どれ程幸せな最期なんだろう…と思うのです。

どうしたら彼女のような最期を迎える事が出来るんだろ…?

という事を、時折思い出しては考えさせられていました。

そして今日、聖書を読んだら…

イエスさまも自分の最期について考えられているのです。

27節においては、

イエスさまが自分の最期を考える時、心を騒がしているのです…

祈りの姿にも、私たちのような姿が…

『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至った…

何と祈れば良いのか、迷う姿が記録されています。

「父よ。御名の栄光を現してください」と祈られました。

カナの婚礼の時、母マリヤに対して「わたしの時はまだ来ていません。」と言われました。

この時から、最期に対する言及がされ始めたのです。

しかし、今(今日の聖書箇所)では時が来たのです。

十字架につけられる時…

イエスさまも、ご自分の死について、

どのように祈れば良いのか思い直す姿…

そして…

イエスさまは「十字架の死」を迎えられたのです。

今日聖書を読んで、

イエスさまは人間的に見れば「最悪な最期」…

と改めて感じたのです。

私たちは… 私は、いつも少しでも今ある状況より上を望んでしまいます。

より良い条件。より良い環境。より良い生活。

私の目にとって上を目指すのです。

しかしイエスさまは、馬小屋で生まれ、十字架で死なれた。

下へ下へと歩まれたのです。

はあぁぁ…

私ってまだまだ…

自分の事しか、目先の事しか、今の満足しか…

考えられないのです…

キリストの似姿に変えられる

キリストの香りを放つって

どんな生き方なんだろう…

私は、主に賛美を捧げながら、

主に感謝を捧げながら、

主と共に人生を歩みたいと願いながら、

自分は上に上がろうとしているのです。

何か今日は…自分が嫌になる一日でした…💦

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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